「長野さん」
「ん?」
隣のデスクに突っ伏して。
思いっきり仏頂面をした岡田准一が不躾に吐き出した。
「俺もう坂本さんと組みたくないです」
長野博は先輩として。
完璧な笑顔を浮かべたままきっぱりと言い放った。
「我慢して」
≫ウェイ オブ ライフ、 イズ ビューティフル。
「どぉーしてですかぁ〜!俺もう嫌ですよあの人ぉ!チェンジして下さいチェンジっ!!」
「あのなぁ…」
うららかなとある春の日の昼下がり。
隣のデスクで駄々っ子のように暴れる岡田に、長野は呆れ顔を隠しもしないでため息をついた。
黙っていれば彫刻然とした美形の後輩が、こうやって駄々をこねるのは今に始まったことではない。
それゆえに長野は間近に迫って来ていた岡田の顔を平手でさりげなく押し戻しつつ、いつもどおりその懇願をあっさり却下した。
「チェンジチェンジってキャバクラの指名じゃないんだからそんなに簡単にチェンジは出来ません。第一俺にそんな権限があるわけないだろ?それよりほら仕度仕度。坂本くんそろそろ戻るんじゃない?」
「う゛〜〜〜」
ふてくされたような顔をして不満に唸る後輩をよそに、長野は常日頃から柔和である顔にさらに柔和な笑みを浮かべて言う。
「俺はいいコンビだと思うけどなぁ。いいとこ取りな先輩とドジっ子な後輩って」
のほほんと言われた言葉の前者は、先ほどから岡田が組みたくないと散々駄々をこねている彼のパートナー、坂本昌行のことである。
彼はやや強面の美丈夫と言う外見もさることながら、何よりその素行の『突飛さ』によりこの職場のちょっとした有名人だったりする。
対する後者は当然岡田のことで、顔は良くとも要領の良くない彼は、日々坂本に振り回されて非常に損な役割を背負わされていた。
故に彼の不満も分からなくはないのだが、それを乗り越えてこそ成長出来るってもんだぞ!などと、実は坂本の元パートナーであった長野はしみじみ思っていたりもする。
「…俺ドジっ子じゃないっす」
「そう?」
精一杯の反抗らしい岡田のぼそりとした一言に、それに関しては何とも言えないけど、と言う言葉はとりあえず更に荒みが増した仏頂面の手前飲み込んで。
気休めの様にその頭をぽふぽふと叩いてやりながら、長野はどことなく無責任なエールを口にした。
「まぁ頑張れ。お前なら大丈夫だから」
そうしたなら案の定、疑い深い目がじとりと長野を見据えて問う。
「…その根拠は?」
「坂本くんと長い間コンビを組んでた俺の勘」
「勘…」
さらりと述べた回答とは言え、長野としては何の根拠も無く言ったわけではなかったのだが、なんだか妙に情けない顔になった岡田が今度は頬杖をついて唇を尖らせた。
「…そぉですか。勘っすか。俺の勘だと100%大丈夫じゃないですけどね」
「お前ねぇ。そんなにいじけるなよ。冗談じゃなく本当に、俺はお前なら大丈夫だって思ってるんだから。な?」
文句は言いつつも今日まで来れていることが何よりの証拠だよ、と長野が若干の猫なで声プラス柔らかな微笑みを向けてやれば、少し照れたような顔をした岡田が今度は頬杖を解いて、ちょっと俯きながらもそもそとつぶやく。
「…俺、長野さんと組みたかったですよ」
「あれ?可愛い事言ってくれるなぁ」
耳をほんのり赤くしている愛すべき後輩の頭を長野はよしよしと撫でてやる。
実を言うと岡田は前々から長野に憧れを抱いていて、ここに配属が決まった時はそれはもう両手を挙げて喜んだくらいだった。
それなのにいざ配属されると、組まされたのは長野の長年の相棒だった『あの』坂本で。
しかも噂に違わない彼の無茶苦茶な行動っぷりに日々振り回されるばかりで、気が付けば尊敬する長野と顔を合わせる日はごく稀になってしまった。
それがさらに岡田の不満を増長させているのだ。
「でも俺は俺でアレの相手しなきゃだしねぇ」
岡田の頭をこねくり回し続けながら、アレはアレで大変なんだよねぇーなどと長野がぼやいていると、突然底抜けに明るい声が室内に響き渡った。
「なっがぁーのくぅ〜ん♪」
「あ。噂をすれば」
「井ノ原さん」
「おっ!じゅんじゅん久しぶりぃ〜♪」
非常に軽い足取りに、にぱーっと満面の笑みを浮かべて入って来たのは長野の言う『アレ』。
つまりは長野にとっては後輩であり現在のパートナー、岡田にとっては先輩であり同時期に異動してきた人物、井ノ原快彦だった。
彼は二人の前まで来ると、人好きのする顔でほっそい目(本人曰わく切れ長の目)がなくなるほどにぱっと笑う。
「おっはー♪」
「もう遅ようだけどね。おはよう井ノ原」
「長野くんったら深いことは気にしちゃいやん♪」
「ちょっと井ノ原さん、じゅんじゅんはやめて下さいよ」
「いいじゃんじゅんじゅん♪ちょー可愛いじゃん♪」
…あんたは一体どこの女子高生だ。
長野と岡田は全く同じツッコミを心の中でひっそりとした。
「もう出る?」
そう聞きながらスーツの上着を椅子の背から取って長野が立ち上がる。
井ノ原は長野を迎えに来たはずなのだが、彼はあごに手を当てると首を軽く傾けて岡田を見た。
「んーそう思ったんだけど久しぶりに准ちゃん見つけちゃったからな〜ちょっとだべって行かない?」
「…業務時間中なのにいいんすか?」
「まぁいいんじゃない?たまには可愛い後輩と交流するのもさ」
「ねっ♪」
「じゃあそういうことで、井ノ原紅茶よろしく」
「へ〜い」
それでいいのか先輩方、と言う岡田の疑問はさて置いて。
話がまとまったので再び上着を掛け直した長野は椅子に座り直しつつ、井ノ原に紅茶を淹れに行かせた。
何でまた紅茶なのかと言えば、長野は完全な紅茶党であり、また少々紅茶にはうるさく、ついでに言えばこだわり抜いた茶葉から入れる本格派だったりするので、井ノ原はわざわざ水道水(長野曰わく紅茶には軟水が一番らしい)を沸かすところから始めなければならなかったりする。
しかしそんな手間に井ノ原は長野のパートナーになってからのここ二ヶ月程度ですっかり慣れてしまったらしく、部屋の隅に置いてあるカセットコンロで手際よく水道水を沸かし、ティーサーバーの準備をしている。(ちなみに全て長野の私物である)
「井ノ原さん手際いいですね」
「まぁ俺がばっちり教え込んだからね」
そう言ってにこにこ笑う長野の横顔を眺めながら、なんだかんだ言いながら長野は結構井ノ原を使いこなしているんじゃなかろうか、なんて。
岡田はさらに長野に対して尊敬の念を覚えると共に、いわゆる相棒という形に…この二人のような関係に。
自分たちがなれるのは一体いつになることやら、と。
妙に遠い目になって思い、こっそりとため息をこぼした。
「岡田?どうした?」
「え?あ、あぁ。別になんでもないです」
「そう?なんだかすごい遠い目してたけど、今」
大丈夫か?と声をかけてくれる長野は本当に心配そうな顔をして岡田の顔を覗いてくる。
こんな風に人の機微を察して気遣うことに関して、長野はエキスパートといっても過言ではない。
優しい微笑みと声が相手に自然とそうさせるのか、気づけば相談事はまず長野に、が彼らの職場での常識になっていた。
そんな部分も岡田が長野を尊敬する一部分であったりするわけで。
ますます彼の不満は積もり積もってしまう。
そしてその矛先は自然長野の現パートナー、井ノ原に向くわけで。
「…井ノ原さんはいいですよねぇー長野さんが相棒で。優しいし仕事も出来るしかっこいいし、そりゃ文句ないですよねー」
またもいじけモードになってデスクの上にのの字を書く岡田に、やたらとお褒めの言葉を並べられた長野はただ苦笑するしかない。
コンロの前で銅製のケトル(もちろん長野の…以下略)を手にしていた井ノ原があはっと笑って、ティーサーバーに沸いたばかりのお湯を注ぎながら岡田に言葉を返した。
「相変わらず岡田は長野くん信者だよな〜でもこの人こう見えて意外に凶暴だぜ?」
「…井ノ原?」
「…失言でした。申し訳ございません」
黒い笑顔で睨まれて萎縮した井ノ原をよそに(凶暴というのもあながち嘘ではないらしい)、長野は岡田に顔を向けて軽く首を傾げてみせる。
「岡田はそんなに坂本くんが嫌い?」
「え?いや、嫌いっつーか…嫌いなのかな…まぁ嫌いかどうかは微妙ですけど、とりあえず一緒に仕事はしたくないです」
きぱっと言われた言葉に長野と井ノ原は顔を見合わせて苦笑してしまう。
彼らとしても、坂本の『あれやこれ』を知っているだけあって、一緒に仕事がしたくないという岡田の訴えを一笑に付することも出来ないのだ。
その反応をいいことに、岡田は遂に積もり積もった不満を爆発させた。
「もぉ〜だって聞いて下さいよ!!昨日なんか女の子人質に取った奴ら五人も相手に俺一人で立ち回ったんですよ!?そんでいよいよ最後の一人ってとこになったら何でか妙に格好いい感じで登場した坂本さんがライフルでその最後の一人撃ったんすよ!!普通撃ちますか!?撃たないでしょ!!つーか撃っちゃダメでしょ!?大体なんでライフル!?なんなんすかそのチョイス!ありえないでしょ!!いくら中身ペイント弾だったって言っても、あの近距離で撃ったらそりゃ肋骨折れますよ!」
「あー折っちゃったんだ肋骨」
「あの人もほんと無茶するなぁ」
岡田の白熱した訴えに、しかし二人はのん気な顔で相槌を打つ。
坂本のとんでもない無茶には慣れてしまっているので、その程度(と言うのもどうかと思うが)のことでは今更さほど驚きもしないのだ。
「本当ですよ!そりゃ最後の一人が拳銃持ち出してきたから坂本さんが撃たなきゃ俺が撃たれてたかもしれないですけど!でもいくらなんでもあれはないですよ!!だいたいどっから持ち出してきたんですかあのライフル!!」
「あーそれは多分あの人の私物だね。間違いない」
「ちなみにちゃんと国の許可貰って所持してるやつだから安心して」
「…今までの流れ見てどこらへんで安心したらいいんですか?」
もっともである岡田の意見はとりあえず聞かなかった方向で、笑顔で流す長野と井ノ原に岡田はまだまだ止まらない坂本に対する不満を口にし続ける。
「それに何が一番むかつくって、あの人すげーもてるんすよ!?」
「准ちゃんたら一番がそこなんだ」
「だって!!男としてはそうでしょ!!昨日だって人質になってた女の子は俺には目もくれないで坂本さんにばっかり…なんであの人がもてるんすか!!わっかんないですよ!!」
「まー仕事とプライベートのギャップがいいとか?女の子たちがきゃーきゃー騒いでんの聞いたことあるけどね〜はい、どーぞ」
どうやら蒸らし終わったらしい紅茶をきちんと温めておいたティーカップに注いで、妙に可愛らしい花柄のトレイに乗せ運んできた井ノ原が二人の前にカップを置きつつそんな事を言った。
それを受けて長野も補足を口にする。
「ありがと。ほら、坂本くんは顔は若干強面だけど男前の部類だし、スタイルもいいからね。それにあれでいて性格は下町の気のいいお兄ちゃんだったりするから、昔からそれなりにもてるみたいだよ」
「…納得いかねぇー」
どうやら普段の顔と仕事上の顔とでは、坂本には岡田の理解出来ないギャップがあるらしい。
どうにも納得のいかない岡田がぶすくれていると、不意に地を這うような不穏な低い声がどこからともなく聞こえてきた。
→ Go the way.