世界は新世紀を謳って新しい幕を開けた。

所がその世界は俺にとって酷く澱んで腐っている。

だったらそんな世界なんて一蹴して、

お前と二人、新しい世界に踏み出すのもアリだろ?












≫あたらしい世界。











「不景気な顔だね」
「この世の中じゃ、どこだって不景気だろ」
深く体を沈めた硬いソファ。
すすけたブラウン管の中にノイズ交じりで映る世界情勢を告げるニュースが、何処か全く自 分には関係のない所の話をしているように思えて退屈だった。
その退屈を破ったのは音もさせずにやってきた訪問者で。
「分かってる?あんたこのままじゃやばいよ?」
「わざわざそれを忠告しに来たのか?」
「さぁ、どうでしょう」
嫌なヤツだよな、とその訪問者を振り返らずにくわえていた煙草のフィルターを噛んだ。
付き合いが長いせいか、相手がどんなことを考えているのか、何を言いたいのか。
それが言葉になる前に分かってしまうのは逆に不便なものだ。
頭の後ろで訪問者の男ははたから見たら慈愛でも満ち溢れていそうなほどに優しく柔らかい 笑顔を浮かべているだろう。
その腹に満ちているものなど、欠片も浮かべることはなく。


世界は新世紀を迎えた。

俺たちにとってある意味シアワセと呼べた世界は終わった。

だから新しい世界は俺たちに・・・いや、俺にとっては、

この上なく難儀なものになった。

異端を切り捨てる世界なんて。


「まさかこのままでいいなんて、思ってないよね?」
「あ?」
「だって反吐が出るほどムカつかない?この世界」
「・・・お前はどうしてそうやって綺麗な顔して笑いながらそう言う事言うんだよ」
この世界を受け入れている人間に聞かれでもしたら大変なことになるだろうに、訪問者はそ ういう事をあっさりと口にする。
反政府の人間もこの世界では「異端」扱いだ。
捕まえられた後の処罰がどういうことになるのか、この腐った世界じゃ容易に知れる。
それでも彼はそれをやめることはない。
「どいつもこいつも洗脳されたみたいにこの世界に順応して、最近じゃ異端狩りなんか始め てるヤツもいる。俺は、この世界は認められないよ」
「それがそいつらにとっての生きる術なら、悪いとは一概には言えねぇだろ」
そいつらも生きるために必死なんだろ。
一息ついて煙草の煙を吐き出したら、曇った声が背中に投げかけられた。
「どうしてあんたはそう・・・」
「消極的なのか、か?」
そんな事は考えるまでもない。
答えは至極簡単だ。
消極的にならざるを得なかった。
ただそれだけだ。
「感情的になるのにも疲れた。それだけだ」
「嘘つくなよ」
「嘘じゃねぇよ」
「嘘だ」
かたくなな言葉に呆れて息を吐いてから、ソファの前のテーブルに置いてあった灰皿に吸い かけの煙草を押し付ける。
そしてようやくそこで訪問者を振り返ってみれば、そこには珍しくもない見慣れた顔と、珍 しいと思うほどに見たことのない表情が同居していた。
怒りとも悲しみともつかない、まるで痛みでも感じているような複雑な表情。
本当にそれがあまりにも珍しかったので、ついつい困って息を吐く。
「・・・あのなぁ。俺よりお前がそんなに怒ってどうすんだよ」
「・・・腹に据えかねるってこういうことだよね、ほんと。俺今人生で一番怒ってるよ」
見りゃ分かる、なんて野暮な言葉は飲み込んで僅かに口の端を上げるだけにとどめた。
ソファの背の上に腕を乗せ、さらにその上にあごを乗せた格好になって訪問者を見上げる。
「お前を怒らす世界ってのもとんでもない代物だよな」
「あんたが怒らないから俺が怒ってる事をお忘れなく」
今度は憮然とした表情でそう言われてしまって、つい苦笑してしまった。
そう言えば出会ったばかりの頃も、こいつ同じ事言ってたっけ。
思い出してみて、さらに苦笑を濃くした。
「ちょっと、何思い出し笑いしてるんだよ」
「ぷ。良く思い出し笑いだって分かったな」
「そりゃ分かるよ。どれだけ長い付き合いだと思ってんの?」
そうだ。
もうこいつとはとんでもなく長い時間を一緒に生きてきている。
だから俺は自分を忌み嫌わなくて済んだし、今ここに生きていられる。
堕ちるとこまで堕ちなかったのも、こいつのお陰だ。
自分自身、それは良く分かっていた。
「いいんだよ、俺はこれで」
「だからどうして・・・」
「俺が怒らなければお前が怒ってくれる。だからそれでいいんだよ。だろ?」
「・・・はぁ」
どう言う訳か、一瞬面食らったような顔をした後にため息をつかれてしまったが、一応それで納得したらしい訪問者はいつもの穏やかな表情に戻って言った。
「呆れるのも疲れたからいい加減本題に入るけど、単刀直入に言うよ。俺と一緒に逃げよう 」
「・・・駆け落ちのお誘い?」
「殴るよ」
「いてっ!・・・ってもう殴ってんじゃねぇかよ」
「殴ってないでしょ。叩いたの」
「屁理屈だろそれ・・・」
ぺちりといい音をさせて叩かれた額をさする。
屁理屈を展開させた訪問者は特に悪びれた風もなく続く話をさらに展開させた。
「さっきも言ったけど俺はこのままでいいなんて思ってないから。世界の流れに身を任せて進めるほど素直じゃないし、第一あんたの命がかかってるんだから、流されるわけにはいかないんだよ」
「それで逃げるのか?逃げ込むあてはあるのかよ」
「何のプランもなく行動する俺じゃないよ」
その言葉と顔には自身が満ち溢れている。
逃げると言う事を選択するのはイコール世界を敵にまわすことになる。
正直、そんなことは不可能なんじゃないかと思わないでもないが、それでもこの長い付き合いの相手にそう言い切られてしまえば不可能なことなどないのではないかとも思う。
彼は手を差し出す。
「だから、俺の手を取って。この腐った世界より俺を選んでよ。それで、俺たちの『あたら しい世界』を見つけよう」
「なんつーか、気味悪いほどプロポーズの言葉に聞こえるんだよなぁ」
「・・・ねぇ、そんなに俺に殴られたいわけ?」
「・・・冗談だよ冗談」
「冗談言ってる場合じゃないだろ。笑えない状況なんだから」
「そりゃ確かに」
そう答えて考えてみる。
彼の言う『あたしい世界』がどんなものなのか、正直な所全然想像がつかない。
でもこいつがそう言うんならそう悪い世界でもないんじゃないかなんて気がして。
それにきっと、ここに居るよりは数百倍も、数千倍もマシだろう。
だいたい本来なら逃げる必要のない人間が自分のためにここまで言ってくれているのだ。
並々ならない決意を持って手を差し伸べてくれている相棒の、その手を取らないなんてこと は最早ありえない。
「この手を取ったら最後、俺は売られたりしてな」
「あぁーなるほどね。そういう手もありか。異端者の売買って結構儲かるしね」
「・・・俺、お前のこと嫌い」
「そう?俺は好きだよ」
「嬉しくねぇ・・・」
「で、答えは?」
「ったく・・・」
差し伸べられたままだった手に、自分の手を思いっきり叩き合わせた。
パチン!といい音が響いて、お互いににっと笑みを浮かべる。
それはまるでイタズラを今から始める子供のような顔だ。
「どうせ選択肢なんかはなっからないんだろ?」
「当然。嫌だって言ったら無理やりにでも連れて行くつもりだったしね」
「ほんと、お前には頭が下がるよ」
くくっとのどで笑ってからソファから立ち上がった。
それは行動する意思の表明だ。
真っ直ぐに立って、真っ直ぐに相棒の顔を見る。
「俺なんかと友達やってたらこの先も死ぬほど苦労するぞ?」
「今更そんなこと言われてもねぇ。もう十分苦労してると思うけど」
「後悔しないか?」
「するんだったらもっと早くしてるんじゃない?」
「この世界よりも、お前を選んでいいんだな?」
「あんたが、俺を信じてくれるなら」
問いにすぐさま返ってくる答えに満足げな笑みを返して、はっきりとした答えを口にした。
「だったら俺は、この世界よりお前を選ぶよ」
「・・・やっぱり、なんだかプロポーズみたいだね」
「・・・お前なぁ。さっき散々やっときながら結局自分で言うかよ」
せっかくキメたのに、と口を尖らせて言えば誤魔化す様に彼はあははと笑う。
「まぁとにかく、これで決まりだね」
「あぁ。善は急げだ。行き先は?」
「とりあえず北へ」
アバウトではあるけれども、説明はそれだけで十分だった。
すでに雑音でしかないテレビをリモコンで消して、玄関に向かい家の扉を開ける。
「じゃあ手っ取り早く飛ぶぞ」
「・・・って、それ目立つと思うんだけど」
「人目につかない高さで飛べば問題ないだろ?」
「そんな高さで飛ばれたら俺酸欠になるよ」
「あーまーとにかくこれ以上早い移動手段はないんだから我慢しろ」
「・・・無茶言わないでよ」
呆れる彼を尻目で見てから目を閉じる。
そうすれば一瞬で、それは形になる。

真っ白な、天使が携えるそれと同じ一対の翼が背に。

「・・・いつ見ても、綺麗だよねあんたの翼」
「そんなこと言うのはお前くらいだよ」
そう、まさにこれが。
『アンゼリカ・シンドローム』(天使症候群)と言って自分が異端と言われる由縁なのだから。
「俺は好きだよ?この翼が。だって空を飛べるってすごいじゃない」
「・・・まぁな」
素直に純粋な言葉で褒められるとつい頬が緩んでしまう。
褒めちぎられて頬が緩みっぱなしになる前にと、自分の意志で動く両の純白の翼で訪問者の彼を包み込むようにして近くに引き寄せた。
「じゃあ行くぞ。ちゃんと掴まってろよ」
「了解」
彼がしっかりとしがみついたのを確認すると、翼をゆっくりと羽ばたかせ始める。
それは滑らかな動きで、日の光に照らされた純白の煌きが目にまぶしい。
そしていとも簡単に、その両の翼は二人の男を空へと舞い上がらせた。





空が、青い。





「ねぇ坂本くん、俺あんたと出会ってから今まで、後悔したことは一つもないよ?」

「・・・なんだよ、唐突だな」

「まぁこんな世界だし、ちゃんと言っておこうと思って」

「へぇ」

「ってそれだけなわけ?もっとリアクションあってもいいと思うんだけどなぁ」

「・・・ありがとな、長野」

「・・・どう致しまして」










世界は、変わった。

でも確かに変わらないものはいつもちゃんと自分の傍にあって。

だからこそ当然のように差し伸べられた手を嬉しく思うし、

その先の未来に希望を持てる。

『あたらしい世界』に踏み出して行ける。











世界はまだ、俺に行くべき道を示している。










END.






■Kohki's Comment.

久しぶりのG10更新はツートップで。
なんとなく思いついた内容で書いたのですが・・・俺坂本氏を異端にするのが好きなのか。(笑)
ワンリーホンシリーズの歌で人を殺せる能力者に続き、今度はアンゼリカ・シンドロームです。
要するに天使の翼が生えて空が飛べると言う設定。
彼には他にも使える能力があるのですが、ここでは特に必要がなかったので省いています。
この設定は実は別の小説用に考えていたものだったりしたんですが、こっちで使いまわし。(笑)
少しでも楽しんで頂ければ幸い。

・・・それにしてもこれ続き物にしても面白そうだよなぁ。


Background Image By.創天