優しい歌声が微かに聞こえてくる。
遠慮がちに潜められた、囁きのような歌声は。
耳慣れないそのナンバーすら、不思議と馴染みを良くさせて。
疲れを残した体にそっと染み込み、優しい温かさと心地よさを与えてくれた。
きみのためのラブソング。
「…坂本くん?」
「あ?あぁ悪い、起こしたか?」
いつものレギュラー撮影日。
待ち時間を楽屋のソファで寝て過ごしていた岡田は、聞こえてきた歌声にしばしまどろんでいた後、ゆっくりと目を覚ました。
体を起こし、視線をさまよわせて歌声を辿ってみれば、すぐに窓際で楽譜を片手に歌を口ずさむ坂本の姿が目に入る。
寝起きの頭で何の考えもなしにただその名前を呼べば、一瞬驚いたように。
それからすまなそうな顔になって、坂本が苦笑した。
「眠そうな顔だな。まだ時間あるから寝てろよ」
「…今の」
「ん?」
「今度のミュージカルの?」
「ああ、聞こえてたのか」
「うん」
いまだぼんやりとした頭のまま、岡田は思いついたままを言葉にのせる。
「いいね、なんか」
「そうか?」
「曲って言うか…坂本くんの声かな」
「え?」
「なんか、すごい気持ちよかった。子守歌みたいで」
「はは。お前相当疲れてんな。大丈夫か?」
岡田としては別に茶化したつもりはなく、嘘偽りのない本心からの言葉だったのだけれど、どうやら坂本はそうは取ってくれなかったらしい。
それを不服として憮然とした顔をしていたら、今度は寝起きで機嫌が悪いものと取ったらしい坂本が楽譜を閉じて立ち上がり言った。
「お前はゆっくり寝てろよ」
別の部屋に行くから、と一歩を踏み出しかけた彼を、岡田は慌てて引き止めた。
「別に、ここで練習してていいよ」
「でもうるさいだろ?」
「だから、さっきも言ったじゃん。気持ちよかったって。うるさくなんてないよ」
それが本心であることを分かってもらいたくて、自分でも気持ち悪いくらい熱の入った言い方になる。
それを珍妙な面持ちになった坂本が、しばしの沈黙の後すたすたと岡田のそばまでやってきて、その額にぺたりと手を当てた。
「熱は…ないな」
「…なんでやねん」
つい関西弁でツッコミを入れてみれば、苦笑した坂本が唐突にわしわしと岡田の髪をかき混ぜる。
「ちょ、坂本くん?」
「お前が急にらしくないこと言うから熱でもあるんじゃねぇかと思ったんだよ」
どうやら気持ち悪いと思ったのは本人だけではなかったらしい。
「…本心からの言葉なんだけど」
「そりゃ悪かったな」
そう応える坂本の表情は笑いをこらえているように見える。
なんだか急に気恥ずかしくなって、なんとなく耳を赤くすると、それに気づいたらしい彼は益々その表情を緩めた。
「…ぷっ。お前は時々可愛いよなぁ」
「…嬉しくないよ、それ」
「いや、悪い」
堪えきれずにくくくっと低く喉で笑う坂本は、岡田の座るソファのその左隣に座って楽譜を膝に乗せた。
「じゃあ可愛い末っ子ちゃんの子守歌代わりに一曲歌って差し上げましょうかね」
そう言って笑う坂本の表情は、珍しいくらいに柔らかい。
もしかしたら、可愛い末っ子ちゃんに褒められた事を結構喜んでいるのかもしれなかった。
「子守歌ならバラードだよな、やっぱり」
楽譜をめくる坂本の手元を興味津々で覗き込みながら、岡田はふと先に坂本が口ずさんでいた曲の事を思い出す。
あの囁きのように密やかでいて、とてもぬくもりを感じる優しく心地良い歌…声。
出来ればもう一度、あの曲が聞きたかった。
「あのさ」
「ん?」
「さっきの曲は?あれがもう一回聞きたい」
「さっきの?あぁ、あれか」
別にいいけど、と言いおいた坂本がさらに楽譜をめくる。
そのぱらり、ぱらりという音が既に、なんだか音楽を奏でているように思えて。
この人の毎日がミュージカルだというみんなの意見も、あながち間違いではないのかもしれないと微笑んだ。
冗談でもなんでもなく、多分この人はそれがすごく似合ってしまうのだ。
そして音はそんな彼に応えるように自然と生まれてくる。
それはもしかしたら、彼の持つ天性の素質なのかもしれなかった。
「それじゃ、歌うぞ?」
目的の楽譜を見つけたらしく、手を止めた坂本がそう言いおいて息を吸う。
それから紡がれた歌は、確かに岡田がまどろみの中で聴いたあの歌だった。
深く、優しく、そして甘く。
そう形容出来る坂本の歌声が、じわりと鼓膜に染み込んでくる。
その音の心地良さに、岡田は瞳を閉じ、じっくりとその歌に聴き入った。
『さすがはうちのミュージカルスター』
そんな事を思いながら。
「…っと、岡田?」
不意に右肩にかかった重みに、坂本は歌うのをやめて隣の岡田を見た。
そうしてからふっと、頬を緩める。
「本当に、疲れてたんだな」
肩にある、安心しきったような、穏やかな寝顔にそう声をかける。
どうやら子守歌は絶大な威力があったらしい。
岡田はいつの間にか坂本の肩を枕に、気持ち良さそうに眠っていた。
その子供のように無防備な寝顔につい笑ってしまう。
「どんなに成長しても、やっぱりお前はうちの可愛い末っ子ちゃんなんだよなぁ」
そんな事をしみじみ言ってみる。
デビュー以来、ある意味親代わりのようなポジションにいる坂本としては、近年の岡田の成長を喜ぶと同時に、いくらかの寂しさを感じてもいたのだ。
だからこうやって無防備な顔を見せられると、変に安心してしまう。
自分の親バカぶりに坂本が苦笑していると、不意に楽屋の扉が開いた。
「収録、機材トラブルでもうちょっと待ち時間延びそうだよ…っと、岡田寝てるの?」
「長野」
そう言いながら室内に入って来たのは長野だった。
最初は普通だった声のボリュームが、岡田が寝ていることを知って少し下げられる。
それからじっと坂本と岡田を見つめて、どこか面白そうに笑った。
「なんだか、珍しい光景だなぁ」
「可愛いだろ。やんねぇぞ?今は俺のだからな」
「どんだけ親バカなんだか」
自分でも思っていたことを長野にまで言われて坂本は益々苦笑を濃くした。
けれど、と思う。
寝ている岡田を柔らかな微笑みで見つめる長野の視線も十分に親バカなんじゃなかろうか。
「何?楽譜?」
「あぁ、今度のミュージカルのな。岡田にせがまれて歌ってたんだよ」
「あぁなるほど」
それが子守歌になったわけか、と納得する長野に頷いて返す。
興味深げに手元を覗いてくるので、楽譜をそのまま彼に渡した。
「へぇ。プレスリーの名曲ばっかりだね。日本語で歌うの?」
「あぁ。だから逆に難しくてさ」
「聞きなれてるのは英語の曲だもんなぁ。あ、俺これ好きだな」
ペラペラと楽譜をめくっていた長野が手をとめて口元を綻ばせる。
「どれだ?」
「ほら、ラブミーテンダー」
「あぁ」
長野が差し出した楽譜には確かにそう書かれている。
プレスリーの曲の中でも特に有名な、オーソドックスなラブバラード。
その楽譜を受け取り、坂本は五線譜に踊る音符を目で追った。
「俺も好きなんだけどな。実際舞台じゃあんまり長くは歌わないんだよ」
「そうなの?」
「あぁ。歌ってる途中でビンタされて中断」
「へぇ。そんなシーンあるんだ」
毎回ビンタされたんじゃ大変だね、と言う長野の顔は本気で心配しているようには見えない。
何せ顔は半笑いだ。
嘘でもいいからそこは心配そうな顔しろよ、と思いつつ、坂本は手元の楽譜に目を落とすと、五線譜の下に書かれた歌詞を指先でなぞった。
それに併せて口を開く。
紡いだのは、優しく、甘い、愛の歌。
不意に口ずさまれた歌に、長野は半笑いではなく、いつもの微笑みを浮かべて耳を傾けてくれている。
どこか嬉しそうに見えるその様子に気を良くした坂本は、歌詞の一つ一つをしっかりと噛みしめるように、ことさら丁寧に歌い紡いだ。
そしてその歌が例のビンタをされる部分の歌詞まで到達した時。
それは聞こえてきた。
「……ふっ」
最初は小さく息がもれる音。
「…んふふ」
次は独特の笑い声。
「んふふふ…ふはっ」
そして遂にこらえきれないと言うように息をこぼし、やがて体を震わせてまで坂本の肩の上で笑い出した岡田に、思わず歌を中断した坂本と、きょとんとした表情の長野は顔を見合わせた。
「岡田?」
「起きたのか?てか何笑ってんだ?」
その坂本の問いには答えず、まだ彼の肩に頭を預けたままの岡田は、ひとしきり笑った後、やたらと楽しそうにそれを口にした。
「坂本くんが、長野くんに愛を囁いてる」
「はぁっ?!」
「お前ねぇ…」
岡田のとんでもない一言に坂本は素っ頓狂な声を出し、長野は苦笑半分呆れ顔半分で息を吐く。
発言した当の本人はと言えば、それを言葉にしたら余計に面白くなってしまったらしく、んふふ…と言う独特の笑いを続けている。
確かに歌っていたのはラブバラードであるし、長野が好きだと言ったから歌ってみたわけだが、だからと言って岡田が言うように坂本が長野に対して愛を囁いていたわけでは当然ない。
まぁそんなことは岡田も百も承知だろうが、それでも先ほどの光景が彼にはよっぽど面白おかしく見えたのだろう。
未だ笑い続ける彼に、坂本は眉間にシワを寄せてから、肩にあるその頭を軽くはたいてやった。
「いてっ」
「いつまで笑ってんだお前は」
「んふふ。だって、すごいはまってたからさ」
ようやく頭を起こし、屈託なく笑ってそう言う彼はやけに無防備だ。
ほにゃっとした顔で長野にも顔を向けて笑うと、同じく微笑んだ長野がわざとらしい口振りで言う。
「いくら坂本くんが歌上手くても、愛は囁かれたくないなぁ〜」
「お前なぁ…」
だから囁いてないっつーの。
そのツッコミは坂本の心の中だけでなされるのがなんとも切ないところ。
「うるさかった?ごめんな。まだ時間あるから寝てて大丈夫だぞ?」
「ん」
長野の言葉にこくりと頷いた岡田は、しかし目を閉じずにじっと長野を見つめる。
「ん?何?」
「…長野くん、ちょっとこっち」
「え?」
岡田に手招きされるまま、長野は彼の前まで歩み寄る。
「ここ、座って」
ぽんぽんと岡田が叩いたのは、ソファーの彼の右隣で。
「何?」
首を傾げながらも言われるがまま長野はそこに腰掛ける。
それを満足げな顔で見た岡田は、左に座る坂本、右に座る長野を改めて確認して、それからそっと目を閉じた。
「…これで、おとんとおかん独り占めや」
くふふ、と笑って言われた関西弁での嬉しそうなその一言に、坂本と長野は呆気にとられた表情で顔を見合わせると、一瞬の後に破顔した。
「…ぷっ。ははは。お前、可愛すぎるだろ、それは〜」
「おんっ前、ほんとどうしたんだ?今日は」
「んふふ。えぇねん、今日は二人に甘える日やねん」
だからしばらくこのままでな?なんて言う愛すべき末っ子ちゃんの可愛い一言に、『おとんとおかん』はまた笑って、そして頷く。
「まぁ可愛い末っ子ちゃんの頼みだしね?」
「謹んでお受けいたしましょう」
そんな二人の回答に満足げな笑みを浮かべると、岡田は坂本が再び口ずさみ始めたラブミーテンダーをBGMに、心地の良いまどろみの世界へと誘われていった。
やがてやってきた井ノ原が、三人が仲良く寄り添って眠る姿に「どーしたもんかこの親子は…」と、呆れ半分羨ましさ半分で苦笑するのはそれからちょっと後の話。
END.
≫COMMENT.
2007年にリーダーがASUをやった時あたりに書いていたものなんですが。
例によって例の如くゴールが見つけられずにお蔵入りしていた一品。
出すなら今しかない!と言うわけでなんとか完成させて出してみました。(笑)
本当はリーダーと末っ子ちゃんだけで終わる予定の話だったんですが、やっぱり博さんがご登場。(笑)
んで結局親子話に落ち着きましたとさ。
ちなみにリーダーが岡田に歌ってあげた曲はどの曲か決めずに書いているので非常にふわっとしています。(笑)
もはや舞台中に何を歌っていたのか思い出せないので各自のイメージでどうぞご自由に・・・(投げすぎです)
さすがに監獄ロックではないと思うよ!(そりゃそうだ)
2009.06.12.Friday
Background by.Pearl Box
cut "Love Song"