「とりあえず仕事の説明は以上かな。何か聞きたいことは?」
季節は春、始まりの四月。
世間が入学式や入社式で新たな門出の賑わいを見せる中、その御多分に漏れず、この神奈川県警察本部警務部警務課にも新たに三名の新人巡査が配属された。
真新しい制服をきっちりと着込んだ、警察学校を出たばかりの新人巡査たちは、一人は我が強そうな鋭い目つきをした短髪の青年(外見から十代でも通れそうだ)で、もう一人はどこか中性的な可愛らしさと独特の声を持つ青年。(こちらも十代だと言われても違和感は無いだろう)
そして最後の一人は顔の彫が深く、彫刻めいた美しさを持った青年(彼が三人の中では一番年相応に見える)であった。
なかなかどうしてそれぞれに個性が強そうな三人を前に、色白で優しい面立ちの青年――三人のナビゲーターを任された、彼らより五年先輩にあたる警務課所属の長野博巡査部長――は、柔らかい微笑みを浮かべて一つずつ仕事内容について丁寧に説明をしていた。
その内心で今年はなかなか元気そうなのが入ってきたなぁと彼は一人ほくそえむ。
どうやら三人は使い甲斐のある新人として長野の御眼鏡にかなった様だ。
それが喜ばしいことであるのかどうかは、いざ知らずとして・・・
「特に質問が無い様だから中に入ろうか」
『はい』
揃って答える声はいまだ硬く、初出勤に緊張した面持ちの三人を長野は微笑ましく思いつつ、彼らの先頭に立って警務課内へと先導する。
そうして三人が足を踏み入れた課内は、勤務時間中だというのにどう言う訳か人が少なく妙にがらんとしていた。
それに対し『おや?』と言う顔になった三人に、長野はやはり柔らかい微笑みを浮かべて説明を加える。
「ここが警務課の部屋なんだけど、今日は数名休みと外出で人が少ないんだよね。なのでとりあえずあそこにいる二人から紹介しておこうか」
『はい!』
気持ちのいい返事ににこりと微笑み返して、いざ『あそこにいる二人』に声をかけようと思えば、聞こうとせずとも聞こえてきたその二人の会話に長野はあーあーと思う。
以下、どんなにそう聞こえなくとも間違いなくこれは『上司と部下』の会話である。
**********
「ね〜ね〜ね〜坂本く〜ん♪」
隣のデスクにしなだれかかる様にしながら、細い目の青年が甘ったれた声でその隣のデスクの主を呼んだ。
そうするとその主はとてつもなく迷惑そうな表情を浮かべて、邪魔だと言わんばかりに書類の束で細目の青年を払う。
「お前なぁ、課内では係長って呼べって言ってんだろ」
「あーこりゃ失敬。ね〜ね〜ね〜係ちょお〜♪」
「そこから始めるのか・・・なんだよ」
嫌々ながらも話を聞いてくれる態勢になった相手に青年は機嫌よく『あはっ』と笑い、軽い世間話をするように話し出した。
「今って桜の季節真っ只中じゃん?」
「んーまぁそうだな」
気の無い返事を返しつつ、隣のデスクの主――坂本係長(階級は警部補)――がなんとなしに窓の外を眺めてみれば、眼下には小さな桜並木が映る。
そうそう立派なものではないが、これはこれで綺麗だよなぁと彼は思考の隅で思った。
「で、桜っつーとやっぱりお花見じゃん?」
「あぁ、花見の警邏とか酔っ払いの取締りで忙しい時期だな」
それは模範的な警察官らしい答えである。
とは言えど実際花見の警邏に当たるのは交番勤務のものが多いわけで、内勤である彼らにまでその仕事が回ってくることはまずない。
故に『酔っ払いの相手は大変だよなぁ〜』などという何処か他人事のような事が言えるのである。
そんな暢気な話の末に、細目の青年は悪巧みでもしているようなにやりとした笑みを浮かべて言った。
「で、ここからが本題ですよ係長」
「あ?」
「そんな花見のシーズンに、朧月の下で夜桜を愛でながら日本酒を一杯、なんてオツじゃねぇ?」
細い目の青年がさらにその目を細くして、くいと手を動かしお猪口で酒を飲むような仕草をする。
つまり彼としては夜桜を酒の肴に一杯やりませんか?と言う飲みの誘いを洒落っ気を出して言ったつもりだったのだが、坂本は強面の顔の眉間にこれでもかと言うほどにしわを寄せて、呆れ半分怒り半分で青年の発言をばっさりと切って捨てた。
「お前なぁ、オツとか言ってる場合か!!いいか井ノ原、俺達には花見の警邏や酔っ払いの取締りの仕事は無いが、四月は昇進試験やらその採点やらでやたらめったら忙しいんだぞ?遊んでる時間は皆無!夜桜見てる暇があったら残業しろ残業!!」
「うえぇ〜!?そりゃねぇよ〜!!」
細目の青年――井ノ原巡査部長――が非難の声を上げているが、坂本の言うとおり、警務課にはこの時期花見客の対応と言う仕事は無いが、昇進試験や人事異動などのあれこれの仕事がある。
結局現場も内勤も、この時期忙しいことに変わりは無いのだ。
「だいたい無駄口叩いてる暇があったら仕事をしろお前は」
「そんなぁ〜!!帰りてぇよぉ!!お花見してぇよぉ!!坂本く〜ん!!」
尚もしつこく食い下がる井ノ原に、坂本はと言えば・・・
とうとうキレた。
「だから花見は却下だって言ってんだろうが!!お前は仕事をしろ仕事を!」
「ううっ、お花見・・・」
「あっ、そんな事より井ノ原!お前こっちの給与計算間違えてたぞ!!」
「うえっ!?」
「あのなぁ、何年この仕事やってるんだお前は。俺の胃に穴開ける気か!!」
「すっ、すぐ直しまぁ〜す!!」
こうなってはもう花見どころの話ではない。
井ノ原は泣く泣く花見を諦め、坂本の怒声を浴びながら仕事に明け暮れるのであった。
**********
「・・・えーと」
なんと言ったらいいものだろうか。
目の前で繰り広げられている(彼らにとってみれば)いつも通りの光景に、思わず長野は続く言葉を捜しあぐねてしまう。
先輩の失態はもちろん新人三人にもはっきりと聞こえているし光景も見えている。
その証拠に三人も長野と同様になんと言ったらいいものだろうかと、揃って乾いた笑いをただ浮かべているのみだ。
・・・まったくしょうのない。
はぁ、と一つだけため息をついてから、長野は心中で『後でシメとかなくちゃ』などと穏やかではないことを思って、とりなすような笑顔を作って場を仕切りなおすため、改めて二人の紹介を口にした。
「えーおほん。あっちで怒鳴られてるのが君たちの三年先輩で井ノ原巡査部長。で、怒鳴ってるのが俺達の上司である坂本係長、階級は警部補ね。ちなみに二人の会話があんなにフレンドリーなのは大学時代の先輩後輩関係が今も続いてるからでね」
『はぁ・・・』
あぁこりゃだめだ。
返って来たすっかり覇気の無くなった返事に長野はあっさりとさじを投げた。
何事も最初が肝心だというのに、初日からすでに井ノ原には先輩の威厳などと言うものはどうやら存在しなくなってしまったらしい。
まぁ自業自得だからしょうがないけど。
そんな風に呆れながらも、新人達にこれだけは注意を促さなければなるまいと長野は付け加えるように人差し指をぴっと立てて彼には珍しく厳しい表情で言った。
「一応注意しておくけど、あれは悪い例だからくれぐれも・・・って言うか絶対に真似しないように!」
その表情の効果か、迫力に気圧されたのか。
新人三人は無言でただこくこくと啄木鳥のように頷く。
それを見て『よし!』と満足げに言った長野は今度は微苦笑になって井ノ原の方を見やりながら。
「例えしがない地方公務員でも、あんな風にだけはなっちゃだめだよ?」
などと言って哀れみに似た眼差しを注いだ。
『・・・はい』
それにつられるかのように新人三人までもが同じような表情になって、これからの自分たちの行く末を案じるかのようにか細い声で同意を返すのだった。
神奈川県警察本部警務部警務課。
そこはある意味新人キラーが存在する部署である。
END.
≫Kohki's Comment.
強いて言うなら第二話『警務課に新人がやってきた!』の巻みたいな感じ?(笑)
とりあえず井ノ原氏が刑事ドラマ決まったっつーから書いてみたくなった刑事モノをお送りしました。
でもうちの彼ららしく、捜査一課とかじゃない所がポイント。(笑)
ちなみに探しても大した資料が見つからなかったので設定が大分嘘吐きになっているかと思われます。
そもそも神奈川県警から桜並木が見えるのかどうかすら不明。
・・・ちょっと横浜まで取材旅行でも行かない?(笑)>私信。
しかし捏造設定になってまでどうして神奈川県警に拘るのかは不明・・・(笑)
でも県警と言ったら神奈川県警だったらしいよ。(何故他人事)
そんな話でした。(どんなだ)
2006.03.06.Monday
Background Photo:使える写真ギャラリーSothei
ちなみに背景写真は本当に神奈川県警らしいよ。(笑)