こもれびのばしょ。

コーヒーとエスプレッソ。


井上が何も教えられないまま浅輪の後をついて行くと、たどり着いたのは浅輪が所属する9係の部屋だった。
どうやら『飲んで行かない?』と言う問いかけには、頭に『9係で』がついていたらしい。
ガラスの自動ドアと言う、一課の部屋としては珍しいタイプの入り口をくぐると、そこにあったのはごく普通のオフィスだった。
彼の同僚たちはどうやら皆出払っているらしく、そう広くはないがきちんと整理された室内は閑散としている。
浅輪曰く皆捜査に赴いているそうで、かく言う彼自身もついさっきまで捜査に出ていて、報告に一旦戻った所で井上と出会ったのだとか。
「奥に座ってて」
「あ、はい」
浅輪に促されるまま、井上は部屋の奥にあるソファの方へと近づこうとする。
と。
「お客さん?」
「え?」
思わぬ問い掛けに井上はつい声を上げた。
入口からはキャビネットの影になって見えなかったが、そこには一人の先客がいたのだ。
『飄々とした顔の五十代男性。多分、結構なくせ者』
つい反射神経的なもの(あるいは職業病とも言うべきか)でそう分析してから、井上が一体誰だろうかと口を開きかけると、それよりも先にキャビネット越しに男に気づいた浅輪が声を上げた。
「あれ?係長?」
「浅輪くん」
「居たんですか」
「うん」
こくりと頷いて返す、独特のテンポを持ったこの人物はどうやら浅輪の上司であるらしい。
係長と呼ばれた男は井上を一瞥してから浅輪に聞いた。
「君のお客さん?」
「あ、はい。玄関ですっごい久しぶりに会ったんですよ。で、せっかくだからお茶に誘ったんです。あ、薫くん、こちらは俺の上司で9係係長の…」
「加納倫太郎です。こんにちは」
座っていたソファから立ち上がり、浅輪が紹介するよりも早く自ら名乗った相手に、井上はさりげなく佇まいを直して自らも名乗り返す。
「警備部警護課第4係の井上薫です」
「警護…って言う事はSPさん?」
「あ、はい。そうです」
「そっか。初めまして。よろしく」
やはり裏の読めない飄々とした顔の浅輪の上司…加納は、小さく笑みを浮かべてそう言うと視線を井上から浅輪に移して注文を口にした。
「浅輪くん、僕にもコーヒーくれる?」
「あ、はい。エスプレッソと普通の、どっちにします?」
「君たちはエスプレッソ?」
「はい」
「じゃあ僕は普通の」
「はいはい」
なにやら天邪鬼のような注文に対し、苦笑いを浮かべて答える浅輪。
雰囲気からして、どうやらそんなやり取りは彼らの日常であるらしい。
浅輪は加納の注文を請けると、キャビネットの上に置いてあるコーヒーメーカーと、その隣の機械…多分エスプレッソマシーンだと思われる…のセッティングにかかった。
彼がおいしいエスプレッソを、と言ったのはどうやらこの事らしい。
まさかエスプレッソマシーンを警視庁で支給しているはずもないので、推測するに9係の誰かが自費で買って持ち込んだものなのだろうが、慣れた手つきでそれをセッティングするのを見る限り、持ち込んだのは浅輪ではなかろうか。
そんな事を考えながら浅輪の作業を立ったまま見守っていた井上は、不意に視線を感じてその元をたどった。
と、すぐにぱちりと合った加納の目は笑みの形に細められていて。
「どうぞ」
「え?」
「立ってないで、座ったら?」
「あ…はい、失礼します!」
その笑みの理由はぼけっと突っ立っていた自分だったことに気づいて、井上は慌てて加納の隣へと腰掛けた。