それは夕暮れ迫る放課後のこと。
今日は部活の呼び出しも無く、特に寄り道の予定も無かったので、は真っ直ぐ家に帰ろうと早々に自分の教室を出た。
すると階段に差し掛かったところで見覚えのある背中を見つけ、思わずその人の名前を呼んだのだった。
「長野先輩?」
「え?あぁ、ちゃん」
くるりと振り返り、こちらに柔和な笑顔を見せてくれたのは、井ノ原と同学年であり、同じくの二つ上の先輩である長野博だった。
温和な人柄に優しげな顔立ちと穏やかな声の持ち主は、何を隠そうこの学園の生徒会長様である。
学業優秀、運動神経抜群と言うまさに文武両道を地で行くこの人は、生徒にも教師にも絶大なる信頼を置かれている辣腕の生徒会長だった。
そんな彼が、何故に対し親しげに話しかけてくれるのかと言えば、それは彼がが所属する部活動、【Victory】の部長であるからに他ならない。
その活動内容の一切が秘匿されていると言う、正直不審極まりない部の活動が許可されているのは、ひとえにこのゆり学のキングとまで称されている彼の存在あってこそである。
ちなみにそんな部に何故が所属しているのかについては、本人としても非常に謎に思うところである。
「今帰り?」
「はい。長野先輩は生徒会ですか?」
「うん。これから会議なんだ」
「大変ですねぇ」
そう言えばこの時期は予算編成なんかで生徒会は忙しいと聞いたことがあったような。
通常の学業に部活に生徒会にと、本当に忙しい人だよなぁとが一人感心していると、ふと何かを思い出した様子で長野が声を上げた。
「あ、そうだ。ちゃん、良かったらこれどうぞ」
「え?」
ブレザーのポケットから取り出した何かを差し出してくる長野に、は首を傾げた。
見れば、彼の手のひらの上には透明なセロファンに包まれた薄茶色のものがいくつか乗せられている。
これはもしや。
「キャラメル、ですか?」
「うん。しかも手作りのね」
「えっ!ってまさか長野先輩が!?」
「あーううん、作ったのは俺じゃないよ」
何故か含みのある笑みを浮かべた長野は首を横に振った。
「あ、じゃあ長野先輩のファンの方の?」
「はは、それも違うかな」
苦笑いで答える長野には、そのあまりの人気から学園内外にたくさんのファンがいる。(驚くべきことにファンクラブまでもが存在しているらしい)
当然プレゼント等も大量に貰っているようなので、このキャラメルの出処もそこかと思いきや、どうも違ったらしい。
あ、そう言えば長野先輩って基本的に手作りのものは受け取らないって言っていたような。
はふとそう思い出して、それからなんとも言えない残念な気分になった。
何故かと言えば、長野が手作りのもの(特に食品)を受け取らなくなったのは、過去にそれに関しての衝撃的な事件(しかも一度や二度ではない)があったからなのである。
詳細については省くが、あ、そういうことする人本当にいるんだー…とがドン引くレベルの事件の数々であったことだけをお伝えしておく。
「まぁとりあえず食べてみない?」
「あ、ええと、それじゃあ頂きます」
明後日の方向に飛ばしかけていた意識を長野の言葉に引き戻されて、は慌てて頷いた。
誰が作ったのかは不明だが、長野が勧める位なのだから(過去のあれやそれのように)変なものではないだろうし、何よりこの時間帯に甘いものは正直ちょっと嬉しい。
なのでは差し出されたままだった長野の手のひらの上からキャラメルを一つをつまむと、早速セロファンを開いて口の中へと入れてみた。
「・・・んっ!ん〜おいしいです〜!」
「でしょう?」
口の中に入れたキャラメルは口内の温度でとろりと溶け、素朴で優しい甘さがじんわりと舌の上に広がった。
どうやらそれは生キャラメルであったらしい。
とてもシンプルな味だが、それは文句なしに美味しかった。
「良かったらいくつか持って帰る?」
「え?いいんですか?」
「うん。実はまだたくさんあるんだ。だから良かったら貰って?」
「じゃあ遠慮なく頂きます!」
「はは、どうぞ」
元気良くそう返事をしたら長野に笑われてしまったが、は常日頃より色気より食い気派である事を豪語している。
なので本当に遠慮することなく、長野が更にポケットから取り出したたくさんのキャラメルをありがたく受け取った。
家に帰ってゆっくり食べようっと。
カロリーとか気にしたら負けだもんね!!
などと思いつつ、は長野が分けてくれたそれらを大事に鞄にしまい込むのだった。
「っと、じゃあそろそろ時間だから行くね」
「あ、はい」
「もうすぐ暗くなるし、気をつけて帰ってね、ちゃん」
「はい。長野先輩も、会議頑張って下さいね」
「うん、ありがとう」
にっこりと優しい頬笑みを浮かべた長野は、じゃあねと手を振ると生徒会室の方へと歩いて行った。
もそれじゃあ帰ろうと踵を返しかけたがしかし、不意にかかった声に足をとめた。
(と、若干足がもつれかかったがなんとか姿勢をキープした)
「あ、ちゃん」
「え?っとと、はい?」
振り返れば同じく足を止めていた長野がこちらを見ていた。
何故なのか、その顔には再びの含み笑いが浮かんでいる。
はて?
「言い忘れたけどそれ、作ったのは君の良く知ってる人だよ」
「え?私の?」
果たして自分の良く知っている人物でお菓子作りが上手な人なんていただろうか?
クラスメイトに心当たりはないし、かと言って部の先輩たち・・・と言うのもないだろう多分。いや絶対。
全く思い当たる節が無く、思いっきり首を傾げるに対し、長野はどこか悪戯な笑みを浮かべ、まさかのそれを口にした。
「明日会ったら美味しかったです、って言ってみたらいいよ。坂本先生に」
「え・・・・・・ってええっ!!?」
坂本先生ってあの強面で甘いものは苦手だと公言しているお菓子作りとは全く無縁そうなあの坂本先生ですかっ!?
予想外の方向からやってきた答えには目を白黒させ、口を金魚のようにはくはくさせた。
イメージ・・・!イメージ無さ過ぎる・・・!
「じゃあちゃん、また明日」
「えっ、あっ!ちょ、長野先輩っ!?」
それもうちょっと突っ込んだ話聞きたいんですけどっ!?
しかしながらの心中の叫びもむなしく、長野は大らかに笑うと手をひらひらとさせ、今度こそ生徒会室の方へと歩いて行ってしまった。
後に残されたはと言えば、お祭り騒ぎの好奇心をなんとか抑え込んで(でも緩む表情筋は制御できないまま)、帰路に着くのであった。
明日坂本先生に会ったら真っ先に「美味しかったです!」と言ってやろう。
そんな決意をしつつ。
シナリオEND.
【坂本先生のプロフィール欄に『趣味:お菓子作り?』が追加されました!】