20年目に俺たちが挑む新たな試みを。
大切に作り上げたいと言うみんなの意見は一致していた。

だからこそ。

会議は見事に煮詰まっていた。
スタッフと、俺たちと、その間に横たわる重すぎる沈黙。
目に見えるほどの疲労に。
誰もが次に進むための言葉を探しあぐねていた。





[ 雪 ]





カチカチカチカチ。

時計の秒針が時を刻む音だけが響き渡る会議室内。
この中で今、時という概念を生きているのは唯一その時計だけのような気がする。
ついそんなことを思うほど沈黙は重くのしかかり、みんながみんな疲れきった顔をして椅子に深く沈み込んでいた。
誰も、口を開く気配はない。
あの光一ですら、酷く険しい表情をして目の前の書類をただ睨みつけている。
どうやら膠着状態はしばらく続きそうだった。

仕方なく、疲弊した空気を切り替えようと思って、剛は無言のまま席を立った。
それを咎める人間はいない。
むしろ彼が席を立った途端、室内のあちらこちらから肺にたまった憂鬱を吐き出そうとする音が漏れ聞こえる。
そしてずっと険しい表情をしたままの、光一の顔色を伺う気配も。

……なんだかなぁ。

そう思って、剛はちょっと眉根を寄せる。
最近は自分も積極的に意見を出すようにしてはいるけれど、こういう会議の中心になるのは大抵が相方の光一である。
仕事人間の彼はこういう事に関して一切の妥協をしない。
だから厳しい意見と檄を飛ばされたスタッフはいつも必死の思いで食らいついてくる。
けれど今日はなんだかスタッフの反応がイマイチで、それがさらに光一を目に見えるほど不機嫌にさせていた。

……なんだかなぁ。

剛はもう一度そう思ってから、ブラインドが上がったままの窓の傍らに立った。
暖まりすぎた室内の空気を入れ換えるのが、この行き詰まった気分を切り替える方法としては一番有効かもしれない。
そう思って窓枠に触れれば、ひやりとした冷たさに驚いて反射的に手を引っ込めた。
そんなに外は冷え込んでいるのだろうか。
改めて窓枠に手を添えて、ゆっくりと横に引いてみた。
すると真冬の冷気が音もなく、そおっと何かを伺うかのように室内へと流れ込んでくる。
その場ではぁ、と息を吐くと、それが白く昇って。
暖かい室内で見る白い息と言う、なんだかちぐはぐな光景に、少し気分が緩んだ。

「ずいぶん寒いな」

同じく気分の切り替えを図ろうと思ったのか。
窓辺で立ち止まっていた剛の隣まで、いつの間にかやって来ていた光一は、固い表情を浮かべたまま、そこから入ってくる冷気に「雪でも降んのか?」とやけに平坦な声で言いながら窓の外を眺めた。
そこから見えるのは少しだけ欠けた月。
空気が冷えているせいか、それははっきりとした輪郭を明るい光の中で現している。
隣に立つ相方の、疲弊していても変わらずに端正な横顔を照らしながら。

「……雪、降んのもえぇな」

ぽつりと、聞こえるか聞こえないかくらいの声で剛は呟いてみる。
雪は嫌いじゃない。
真っ白で、静かな音を零して降り積もっていく、あの景色。
世界が深々とした静寂に包まれたような、あの感覚。
精神が研ぎ澄まされるような。
何かが変わって行くような。
白に支配されていく、現実味の無い世界に。
自分はどうしようもなく魅力を感じる。

「俺は嫌や。寒いし面倒だし、何より道が混む」

どうやら小さな呟きは聞こえていたらしく、眉間にしわを細かく刻んだ相方は、腕を組みつつそんなことを言った。
彼にロマンチシズムを語っても無意味なことは分かってる。
常に現実を生きている相方は、いっそ見事なくらいいつも前だけを見ている。
それは自分には真似出来ないし、何よりしようとも思わない。
でもそれでいいし、それがいい事を自分もこいつも分かってる。
だから俺たちは二人でここまで来れているのだ、と剛は一人ごちる。

「風邪ひくぞ」

ひゅうと、小さな音を立てて入ってきた風に剛が身をすくめると、ぶっきらぼうな物言いが聞こえた後、窓が静かに閉じられた。
それから無言のまま手を引っ張られて、開かせられた手のひらの上に、落ちてきたものが一つ。

「なに?」
「見れば分かるやろ。飴や飴」
「飴?」

なんで急に飴なんか。
首を傾げかけた剛の視界には、何故かぶすくれたような顔の相方が映る。
もらった飴と、ぶすくれた顔の光一と。
繋がらない二点は一体、何を意味しているのだろうか。

「のど飴」

とんとんと、手のひらの上の飴を指して、やっぱりぶっきらぼうに彼は言う。
でもそのおかげで彼が言わんとしている事がようやく理解できた。
それは彼の、不器用な優しさだったのだ。

「……なんで分かったん?」
「何年付き合うてると思っとんねん」

それくらい分かるわ、と言うつっけんどんな言葉と眉間に寄ったしわ。
それは怒っている、と言うよりは多分、照れ隠しなのだろう。
平静を装うあまり、ぶっきらぼうになってしまうのがなんとも彼らしい。
剛がつい小さく笑ってしまうと、少し気まずそうな顔になった光一が、やはりぶっきらぼうな声で聞いてきた。

「熱は?」
「ないよ。ちょっとのどが痛いかなくらい」

そうか、と答える光一の声のトーンがいくらか柔らかくなった。
そう言えば、ついさっきまで剣呑としていた彼の雰囲気が、いつの間にか普段のものに戻っている気がする。

「……なんや?」

ついじっと光一を見つめていたら、それに気づいたらしい彼は怪訝な顔。
でも、それは別段刺々しいものじゃなくて。

……なんだかなぁ。

三度目の、そんな感想。
でも今度のは、剛的に含んだ意味が前の二回とはちょっと違う。
その証拠に、くふふと漏らした笑いに相方はさらに訝しげな顔をしている。

……なんだかなぁ。

剛は言葉は返さずに、緩めた口元のままくるりと踵を返した。

「おい?」
「空気も入れ換えたし、話し合い再開再開!」
「って、こら剛!」

わけわからん!と憤慨する相方は放っておいて。
二人のやり取りに密かに聞き耳を立てていたらしいスタッフの、随分とほぐれた表情を見て、剛はまた笑いがこみ上げてきた。
もしかしなくても、俺たちってすごく恵まれているのかもしれない。
そんなことを思いながら。

「光一さんいつまで遊んでるんですかぁ〜?はよ席ついてくださーい」
「はぁ!?」
『あはははは』

少し前とは打って変わって。
会議室内に響くのは複数の明るい笑い声。
どうやら止まっていた時間は、ちゃんと前に進みそうだ。





そして。
白熱した話し合いの最中に。
窓の外に白いものが舞い始めていることに彼らが気づくのは。
もうちょっと、後の話。










2017.04.08.Sat Novelページアップ。

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