早く・・・早く・・・
ほら、風が優しくなってきただろ
お前の季節だよ・・・
春を迎ふ
「忙しそうだな、昌行」
「うぉっ、お前か、達也。驚かせんなよ」
音もなく現れた存在に、昌行は両手に抱えた書簡を危うく落とすところだった。
その詫びなのか、達也は書簡の半分を自分の腕の中へ移動させた。
「俺、そんなに忙しそうか?そりゃ、新人を迎える用意に追われてるけど」
「違う違う。忙しいのは、お前の顔。怒ったり、笑ったり。去年もだったよな」
「あぁ・・・まぁな」
「今年は暖かい冬だったから、お前の眉間の皺がそれ程深くならなかったんだよな。俺、茂くんと賭けてたのに」
「人の顔を賭けの対象にするなよ・・・」
誘うように風が頬を撫でる。
「それより、お前、お使いで来たんじゃないのか?」
「あぁ、茂くんから伝言。今夜、酒飲もうって。あと、今日は随分と暖かい日だって」
「・・・・・・達也、これも頼む。いつもの所だから」
「あいよ」
持っていた書簡を達也に預けて、昌行は走り出した。
閑静な庭の中で、今朝までは五部咲きだった木が、一斉に広がっていた。
一陣の強い風が空へと翔る。
その先に目を向けると、舞い上げられた花弁がゆるりゆるりと降ってきていた。
そして。
一際大きな枝の上で、霞のようなものが次第に色を持ち、輪郭を縁取り始める。
両手をそれに差し出せば、それもこちらに手を伸ばす。
舞い降りた花弁が触れた刹那、人となったそれが目を開く。
赤子がこの世に生まれたように。
「おはよう、博」
「おはよう、昌行」
春の風のように柔らかい声。
花の香りのする枝色の髪。
ずっと待っていたその微笑み。
桜の木の下で、春が来た。