コンビニから出て、何気なく空を仰いだら思いがけず高くて、もう直ぐ春だなあなんて思ってしまった。 その気持ちをまんま言葉にしたら、長野に「おじいちゃんみたい」と笑われた。 煩ぇなあ。 おまえにだけは言われたくないよ。おまえにだけは。 打ち合わせの合間の休憩時間。 井ノ原の発案でコンビニまでの買出し部隊をジャンケンで決めることになった。 世間一般の人からしたら、そういうのはマネージャーに頼むもんじゃないのかって思われそうだけど、それは偏見というもんだ。 基本的に、自分のことは自分でやる。 ゲームが絡めばなおさらに。 で、後出しをしただのしてないだのという、アイドルのそれとは思えないほど実に醜い争いの末(ジャンケン一つで何をそこまで盛り上がれるんだ、などという突っ込みはしないでほしい)、結局俺と長野が栄えある買出し部隊に選ばれた。 ま、要はジャンケンに負けただけなんだけどね。 今年の冬は入りからずっと暖冬で、年明けから本格的な冷え込みを見せてはいたものの、2月を終える頃にはまた春先の暖かさが戻って来た。 だから、若干春の到来への感動も薄い。 そんなことを思いながら歩いていると、長野が「あれ?」と声を上げた。 「どした?」 「コレ……何の匂い?」 匂い? 言われ、鼻で息を吸い込んでみる。 車の排気ガスの臭いと一緒に、空気に薄く混じる何かの匂い。 甘いような酸っぱいような、 普段あまり嗅ぎ慣れない、でもどこか懐かしい匂い。 香水のそれとも違う匂いに少しの間足を止め、でもその匂いの正体も出所も分からなくて、俺たちは結局何事もなかったかのようにまた歩き出した。 車道を通り過ぎる車。沿道に植えられた街路樹の枝に芽吹く新芽。行き交う人たちの話し声。どこかに取り付けられたスピーカーから漏れる流行歌。 そんな有体なモノたちに囲まれ、昼過ぎの街は今日も正常に機能していた。 角を二つほど曲がると、街の表情が少し変化を見せる。 オフィスビルの間にマンションが並び、その前に猫の額ほどの児童公園がある。 俺が子どもん頃は、もっといろんな場所で自由に遊ぶことが出来たけど、今の子どもたちはこういうトコぐらいでしか遊べないんだろうな。 なんて言ったら、隣を行く男にまたジジ臭いと言われそうだったから言わないでおいた。 ぼんやりと公園を眺めながら歩いていると、そこにあるモノを見つけた。 「長野、あれ……」 俺が指差した方を長野も見る。 公園の入り口近く、植え込みの低木の緑にぽつぽつと混ざる白。 「沈丁花かぁ」 「ああ、何かそんな名前だったな」 無意識の内に足を止め、二人して『あの匂い』の正体を眺める。 白い花びらの真ん中に赤。 一つ一つは小さいのに、強い芳香をあんな遠くにまで飛ばせるのかと、思わず感心してしまった。 「ここで咲いてるのに、あんなトコまで匂ってたんだね」 白い花を指でつつきながら言った長野の言葉に、俺は思わず噴き出しそうになった。 まあ、付き合いも長いし、妙なところで意見が合うのにも慣れてるけど。 「見てっ! 坂本くん」 顔を上げた途端、それだけ言い残して長野は突然走り出す。 若いなおまえ……なんて思いながら、その背を追って公園の中へと入る。 砂場の近く、フェンスに寄り添うようにして植えられた一本の桜の樹。 その下に立つ長野の少し後ろまで来て、見上げたその樹に俺は我が目を疑った。 「おい……今まだ3月だろ?」 両手を空へ向けるようにして広がる枝には、薄いピンクの花。 一瞬、桃かと思ったけれど、やっぱりそれは桜だった。 「狂い咲きだよ。今年は暖かいからね」 その花を見上げたまま、長野が緩く笑う。 そういえば、前にテレビで桜が二度咲きしたっていうニュースを見たことがあった。 でも、あれはここよりずっと南の地域の話で。 「ちょっとこれ持ってて」 言って、長野がコンビニの袋を押し付けてくる。 それを受け取るか受け取らないかの内に、長野は何を思ったのか花を付ける枝に向かってジャンプをし始めた。 二度、三度と飛び跳ねる長野の手に枝が触れ、パシッという乾いた音の後で俺たちの上に花びらが舞った。 細い枝を手にした長野が、まるで悪戯が成功した子どものような笑顔で振り返る。 「長野〜?」 「いいじゃん、一本だけ。みんなにも見せてあげたいじゃない」 そりゃそうだけどさ。 だからって、おまえ。普通、折るか? 「おまえさ……『桜折る馬鹿』って言葉知ってる?」 「何か言った?」 「いいえ……何にも」 これだけ悪気もなけりゃあ折られた桜も本望……か? 一仕事終えたような顔をして枝を持っている長野に厭きれながらも、そんな風に思った。 「そろそろ行くぞ。あいつらも待ってる」 「そうだね」 公園を出て歩いて行く。 沈丁花の香り。狂い咲きの桜。晴れ渡る空。 本当に、 もう、 春は直ぐそこ――。 (了) ≫Kohki's Comment. 相互リンク記念にイラストのリクエスト受け付けますよ〜と言ったら、なんと安田さんが小説のリクエストをどうぞと言ってくださったので、散々悩んだ末に原点に戻ろう!っつーわけで『ツートップで春うららな話』と言うなんとも微妙なリクエストをしたらこんなに素敵な小説を頂いてしまいました!!(長) ちなみに背景はやっぱり空と桜だろ!ってことでこんな感じに設定させて頂きました♪ 安田さん、素敵に春香る小説を本当にありがとうございました! 2008.04.17.Thursday Photo By.NOION |