あの日。
2人で見上げた西の空は。
夕焼けに染まっていた。
見慣れている風景のはずなのに。
どうしてか。
違って見えた。
別に何があったというわけじゃない。
悲しいことがあったわけでも。
悔しいことがあったわけでもない。
でも。
その日、俺は笑えなかった。
毎月恒例の雑誌撮影。
「はい、笑って下さーい」
カメラマンがレンズの向こうからお決まりの言葉を言ってくる。
いつもなら簡単なことだった。
ニコっと笑って、パシャリと撮られてそれで終わり。
それなのに。
その日、俺は笑えなかった。
笑おうと努力はした。
口角を上げて。
楽しかったことを繰り返し、頭の中で考えて。
それでも。
俺の笑顔はまるで、封印されてしまったように表に出てくることを拒んだ。
結局、「一旦、休憩にしましょう」という声がかかった。
途端にスタジオ内の緊張が解ける。
「森田さん、どうされたんですか?」
近付いてきたマネージャーが心配そうな顔で問いかける。
「別に」
「でも・・・」
「あのさ、俺、ちょっと、屋上に行ってるくる。時間には戻ってくるからさ。
何かあったら携帯は持って行くから連絡してよ」
まだ何か言いたそうなマネージャーを残し、俺はスタジオを後にした。
今日の撮影は1人なのだ。
これが、他のメンバーの誰でもいい。
一緒だったら、笑えるかもしれないのに。
今日は1人だ。
屋上に続く鉄製のドアを押すと、ギイっと油が足りない音がした。
ちゃんと油差しておけよなんて、どうでもいいことを考える。
もう夕方が近付いている屋上には、当然のように、誰もいなかった。
ゆっくりと手すりに向かって歩いて行く。
時折、ゴオっと音がするのは、成田空港か、羽田空港に向かう飛行機だろうか。
9月も下旬に入ったこの時間帯は、少し肌寒さを感じさせた。
今年もまた冬がやって来るんだな。
そう考えると、何だか少し寂しかった。
手すりに凭れ、ふうっと溜息を吐く。
別に何があったというわけじゃない。
悲しいことがあったわけでも。
悔しいことがあったわけでもない。
それなのに、どうして笑えないのだろう。
こんなんじゃ、俺、プロ失格だよなあ。
頭に手をやって、グシャリと髪を撫でた。
マネージャーが見たら、セットが乱れるじゃないですかと怒るんだろうなと思いながら。
「ふう・・・」
もう1度、溜息。
誰もいないはずの空間に、その音は妙に響いて。
「溜息を吐くと幸せが逃げるって、言われない?」
受け止めてくれた人がいた。
驚いて顔を上げる。
そこには、見慣れた、見慣れ過ぎた人物がいた。
「長野君・・・」
「こんなところで何やってんの?」
ニコニコといつもの笑顔を浮かべて、俺の側にやって来た人。
長野博、V6のメンバー。
「長野君こそ、なんでここに?」
「俺?俺はここで雑誌のインタビューがあったんだよね。今はその休憩中」
「そうだったんだ」
「剛は?」
「俺もここで雑誌の撮影。今は休憩中だけど」
「じゃ、お揃いだね」
そう言って、長野君は俺と同じように手すりに凭れた。
少し冷たくなってきた風が、彼の髪を揺らした。
そして、俺の髪も。
ゴオッとまた飛行機が頭上を飛んで行った。
「あれは羽田に行くのかな」
隣でほわーんと長野君がそんなことを言った。
とても心地いい声だった。
「長野君はさ・・・」
どのくらいの時間が経ったのか分からなかったけれど。
長野君のほわーんとした声の後、沈黙が続いていた2人の関係を変化させたのは俺だった。
普通に話しかけようと思ったのに、妙に言葉は弱々しくなって、自分で焦る。
「何?」
いつもと変わらない笑顔で、長野君が俺を見つめた。
「理由がないのに、笑えない時ってある?」
長野君は驚かなかった。
いきなり、こんなことを言った俺を。
ここに来て、溜息を吐いている俺を見た時から、彼には分かっていたのかもしれないなと、
その時になって気付いた。
すぐには答えは返って来なかった。
俺を見つめていたその視線は、いつの間にか空に向けられていた。
夕暮れが迫ってきている空に。
やがて。
「理由はあると思うよ」
視線が俺に戻って、そう言われた。
「え?」
「理由がないのに笑えないなんてことはないと思う。理由は、あるんだよ」
「長野君・・・」
「剛、疲れてるっていうのもね、立派な理由の1つだよ」
ゴオっとまた飛行機が頭上を飛んで行く。
今度は成田に行く飛行機かもしれない。
「疲れてる・・・?」
「そう。知らない間に疲れを溜めてしまっていることだってあるんだから。体は正直だよね」
「でも・・・」
「笑えないのは、悲しい時ばかりじゃない。悔しい時ばかりじゃない。
どうしようもなく疲れている時も笑えないものなんだよ」
言われて、初めて気が付いた。
俺は疲れていたんだ。
仕事が忙しいのはいいことだ。
この夏のコンサートも大成功だったと思っている。
でも、しばらく、ずっと纏まった休みも無かった。
そっか。
この忙しい毎日に、いつの間にか俺は疲れていて、それで笑えなくなっていたんだ。
ようやく、自分の状態に合点が行った。
「そっか。そうだったんだ」
「溜息を吐いてしまうくらいなんだから、相当疲れてたんだと思うよ」
「そうだね」
「たまには自分を甘やかしてあげたら?」
「そうだね」
俺は俺なりに頑張り続けていたのかもしれないなと思った。
そう思ったら、何だか急に気持ちが楽になった。
だけど。
「ああ・・・」
「何?」
それでも、いきなり情けない声を出した俺に、長野君が反応した。
「いや、自分が疲れてたのは分かったけど、でも、今日の撮影はやっぱり笑えないとまずいんだよなあと思って」
しんどいから、日を改めてくれなんてことは言えない。
カメラマンやスタイリストにも都合があるのだから。
どうっすかなあとうな垂れた俺をしばらく見つめていた長野君が。
ふいに手を伸ばしてきた。
え?と思う暇も無かった。
むにっと口角が引っ張られた。
長野君の柔らかい手に。
「ひゃにしゅるんじゃよー」
引っ張られているせいでうまく言葉が言えない。
「ここで笑顔の練習をして行きなよ」
ふっふっふっと楽しそうな長野君。
その手は俺の口角を引っ張ったまま。
「はひょ」
思わず、俺の口からまぬけな声が出た。
「ほら、笑って笑って〜」
長野君、あんた、俺をおもちゃか何かと間違えてるだろ?
楽しくて仕方が無いという顔で、口角を引っ張り続ける長野君に心の中で突っ込んだ。
結局、5分くらいは引っ張り続けられただろうか。
ようやく、長野君の手が離れた。
「ったく、何すんだよー」
「剛が大変そうだったから手伝ってあげたんだよー」
悪びれる様子も無く、長野君が言う。
ったく。
やることが無茶なんだから。
でも。
散々、長野君に笑って笑って〜と言われたからなのか。
俺は笑えそうになっている自分に気が付いた。
このまま、スタジオに戻ったら自然に笑えそうだと。
「そろそろ、戻るわ、俺」
「そう?俺はまだ時間があるからもうしばらくここにいるよ」
時計を見て、休憩時間の終了が近付いていることに俺が言うと、
長野君が手すりに凭れたまま、ポンポンと軽く頭を叩いてくれた。
その感触が優しくて、ほっとする。
ゴオっと、また音がした。
2人揃って、空を見上げた。
飛行機が飛んで行く。
その時。
2人で見上げた西の空は。
夕焼けに染まっていた。
見慣れている風景のはずなのに。
どうしてか。
違って見えた。
それは。
側に長野君がいたからなんだろうか。
「じゃあ、またね」
手を振ると、頑張ってねーと手を振り返してくれた。
建物の中に続くドアを開ける。
ゆっくりと階段を降りながら、さっき、散々、長野君に引っ張られた口角に手を触れた。
そこは。
温かな優しさが残っているような気がした。
終
≫Kohki's Comment.
なぎささんから素敵な小説を頂いてしまいました。
なんとこちら、オバドラコンビ絵に触発されて書いて下さったそうなんですよ!
いやぁ〜もう本当にありがとうございます!!感激です!!(涙)
そしてレイアウトはお任せでと言って頂けたので、本当にかなり勝手にやらせて頂きました!
こんなんにしてしまったのですが、OKでしたでしょうか・・・?(ここで聞くなよ)
個人的なこだわりとしては背景の写真が!
どうしても飛行機と夕日を使いたくて、検索しまくった結果こんな素敵な写真を発見。
一人心の中でガッツポーズしながらレイアウトをさせて頂きました。(笑)
なぎささん、情景が目の前に浮かぶような本当に素敵な小説をありがとうございました♪
2006.10.16.Monday
Background photo By.2000ピクセル以上のフリー写真素材集