りんごのガトーショコラ。











月は無言の慈悲を持って今日も彼らを照らしている。














「…坂本くん…」
「〜〜っ、分かったっ!分かったからその捨てられた子犬みたいな目で俺を見るなっ!!」


博と坂本が出会ってからと言うもの、坂本家の夕食時はいつも大抵が賑やかだ。
室内にいるのは二人の男だけなのにも関わらず、その賑やかさは一家族分の賑やかさにも相当すると言っても過言ではないかもしれない。
坂本曰く、その原因は100%式神のくせにグルメで食いしん坊な博にあるらしい。
今日も彼は食にうるさい式神のリクエストに答えるべく、渋々その腕をふるっていたのだが、急に先の博の捨てられた子犬の目攻撃を受けたのだった。
一体何事かと言えば、理由は以下の通りである。
「作りゃいいんだろ!作りゃ!!その代わり俺は味見出来ないから味の保証はしないぞ!」
「やった♪ケーキ♪ケーキ♪」
まるで子供のようにはしゃぐ博に苦笑半分失笑半分。
要するに坂本は博からケーキを作ってくれとせがまれていたのだった。
元来甘いものは大不得意な坂本としては、生クリームの甘い匂いを嗅ぐのすら嫌だったが、博の食への執念はとにかく凄いのである。
かつて一度だけ博がごねていても放っておいた事があったのだか、その時の博はとにかく凄まじかった。
とてもじゃないが思い出したくはない思い出であると坂本は身震いする。
とにかく、あんな目に遭うよりは甘い匂いを我慢してケーキを作る方が何倍もマシである。
(ちなみにケーキ屋に買いに行くという選択肢ははなから彼の中に無いらしい)
坂本は深く息を吐いてから、せめてもの抗いをしてみた。
「ったくお前は。本当に食うことにだけは貪欲だよな…そのバイタリティ他に回せないのか?」
「何言ってんの坂本くん!人間にとって食って言うのは何よりも欠かせないものらしいんだよ!?」
おいおい「らしいんだよ」ってなんだ「らしいんだよ」って。
「つーかそもそもお前人間じゃないでしょーよ。要するにどっかの受け売りなわけな…お前は一体どこからそんな知識を拾って来るんだ?」
「あのね、お昼にテレビでやってる番組でさ、色の黒い人が奥さ〜んって…」
「あ〜もういいもういい。よぉ〜く分かった」
犯人はあの人か。
別に知り合いなわけでもないけれど、心当たりのある博に余計な知識をつけた相手に対し、余計な事はしないでくれ…と心の中で苦情を送る坂本であった。
まぁその苦情は絶対に届きはしないだろうが。
「…で、どんなやつがいいんだ?つーかケーキの事なんて何処で知ったんだよ。それもテレビか?」
博は式神としての知識はおろか、人間的な一般常識すらかけている式神であった。
どう言う訳かある種の変に偏った知識は豊富なのだが、ケーキなどと言う単語はついこの間まで知らなかったはずだ。
その坂本の問いに博は嬉しそうな顔のままで首を振った。
「ううん、この間井ノ原が来た時井ノ原が長野くんってケーキとか好きそうだよねって言ってきたんだけど、俺ケーキなんて知らないから適当にうんって答えちゃったんだよね。だから俺の知識を増やすためにも坂本くんはケーキを作らなきゃいけないのですv」
…うわ、最後ハートマークつけやがった。
坂本は心の中で嫌そうにそう呟いてからわしわしと自らの頭をかいた。
博が知りたいと思う事はキチンと教える。
それが彼らの間に一番最初に交わされた一つの約束だ。
なので例えどんな些細なことであろうが、博が知りたがるならば彼に教えてあげるのが坂本の仕事なのである。
「要するに、どんなケーキでもいいわけだな」
「うん。ケーキならなんでもいいよ。って言うかケーキってそんなにたくさんの種類があるものなの?」
「まぁな。数え切れないくらい…って先に言っておくけど全部食いたいとか言い出すなよ、お前」
「えー」
…言う気だったのかよ。
本気で残念そうに非難の声を上げる博に脱力する。
世にあるケーキ全種類なんて坂本じゃなくケーキ専門のパティシエだってとてもじゃないが作れないだろう。
ああいうものは作る人間の数だけバリエーションと言うものが存在するのだ。
「じゃあとりあえずオーソドックスなヤツでいいか…けど材料なんてあったか…?」
坂本は諦めたようにキッチンに向かい、冷蔵庫やら棚やらをがさごそとやり出した。
「ねぇねぇ坂本くん、りんごは使える?」
「りんご?」
カウンター越しにキッチンを覗いていた博がカウンターの上に置いてあった良く熟れて真っ赤なりんごを持って坂本の方に差し出して来た。
「お父さんのりんご、これ凄い美味しいよね」
「あぁオヤジが送って来たやつな」
坂本は母親は亡くしているものの父親は健在で、その父親は小さな商店街で八百屋を営んでおり、時々こうして季節の野菜やら果物やらを送って来てくれる。
その中にあったりんごを博がいたく気に入ったのは昨日のことだ。
「りんごでケーキか…」
博が差し出して来たりんごを受け取って坂本はしばしの沈黙。
「りんごじゃだめ?」
「…いや、確かもらって持て余してたチョコレートがあったよな…お、あったあった」
シンクの下の棚を開いて、坂本は製菓用のシンプルなチョコレートのパッケージを取り出した。
それと一緒に置いてあったパウンドケーキを焼くための型も取り出す。
それは甘いものが苦手な人間の家にはとても不釣り合いなものに見えた。
「りんごで作れるの?」
「…昔、作ってもらったやつ。なんとか覚えてるから大丈夫だろ」
言って、手に持ったパウンドケーキの型を見つめる坂本の瞳はどこか暗い。
その色に気づいた博が口を開きかけて止めたので、結果、短い沈黙が二人の間に生まれた。
それを先に破ったのは博の方だった。
「…ね。俺も手伝うね」
「あ?あぁ」
いつの間にかカウンターの向こうから坂本の隣まで来ていた彼は、いつもの通りの微笑みを浮かべて坂本の手からパウンドケーキの型をさらって行った。
「思い出いっぱい、詰まってる感じするね、これ」
おいしいのが作れそうだね、と屈託無く笑う博に、一瞬あっけに取られた坂本はつい苦笑してしまった。
どうやら自分はこの式神になぐさめられてしまったらしい。
全く、無知なくせに良く出来たヤツだ。
「おいしく出来るかどうかはお前次第だからな。味見は全面的にお前に任せるぞ」
いつもの調子に戻ってそう言った坂本に、博は型を彼に返してから、やっぱりいつもと変わりない優しい笑顔を浮かべて答えてくれた。
「仰せのままに」



長い間使っていなかった様子のパウンドケーキの型。
そこからほんの僅かに染み付いた、懐かしい甘いチョコレートの香りがした。











END.





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何故桃の節句に誓約なのかについては深い意味はないです。(笑)
そんなわけで超久しぶりにお送りしました誓約シリーズ。
ちょっと前に小話で書いたきりだったのでかなり久しぶりっスね。
つーかまぁ文章自体更新すんのがかなり久しぶりなんですけどね。(汗)
とはいえこちら、特別新作なわけではなかったりします。
毎度お馴染み光騎さんの暫く寝かせてから出す作戦(作戦?)の一品です。
…えぇ、まぁ、そうですよ。要するに出すの忘れてただけですよ。(爆)
一体何年前に書いたのかもさっぱり思い出せませんがな。(それはどうなの)
ついでに言うとこれここで終わるはずじゃなかったりしたんですよ、えぇ。
でも友に見せた所ここまでで良くね?という言葉を頂いたのでここで終わらせときました。(笑)

ちなみにりんごのガトーショコラは某奥様向け雑誌で見っけて、その時何故かこれだ!と思ってしまったのでこの小説が出来上がったりしたわけで。(笑)
そんなわけで少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです♪

2008.03.03.Monday
Kohki Tohdoh Presents.
template : A Moveable Feast