「なぁ、素朴な質問なんだけど、お前の誕生日っていつなんだ?」
「ふへ?」
唐突な坂本の質問に、博は疑問が上手く声にならなかったので、とりあえず首をこてんと横に傾けてみせた。
それは坂本家某日の朝食時。
珍しく坂本特製手作りパンなどと言う手の込んだものが食卓に並んだ日のこと。
ほかほかふわふわの焼きたてパンをとにかく美味しそうに頬張りながらの博の間抜けな返答に、微苦笑を浮かべて坂本は続けた。
「お前にだって当然生まれた日ってのがあるだろ?」
「むぐんぐ…んぐ。ぷはぁ。うん、まぁ生まれるって表現が正しいとは思わないけど、そりゃ俺がここに存在してる以上はあるんだろうね、多分」
口の中のパンを咀嚼して、冷めかけの、これまた坂本が珍しく淹れてくれたロイヤルミルクティーで飲み下してから、博は大した興味もなさそうにそう返す。
そのあっさりとした物言いに坂本は呆れたように眉を寄せた。
「多分って…随分曖昧な事言うなぁお前は」
「だって俺は式神だし。誕生日だっけ?そんなのなんか関係ない存在だよ?知ってた所で特に何の意味もないし」
あっさりとそう言ってのける博に、坂本は反論しようと思った。
誕生日を知っている意味は十分ある。
知っていれば彼の生まれて来てくれた日に感謝も出来るし、祝ってやることだって出来る。
けれども、坂本がそれを言葉にすることは無かった。
何故ならば、それは式神として作られた存在に対しては、必ずしも成立する理屈ではなかったからだ。
式神は式神。
人とは明らかに違う、生きる道具。
そう思って式神を使役する人間は少なくない。
つまり、博の前の主はそう言う考えの持ち主で、彼の誕生日を祝ってやるような人間ではなかったのだろう。
博には誕生日を祝うなどと言う行為は習慣としてないのだ。
しかし…それでは。
「…なんか、寂しいじゃねぇかよ。そう言うの」
「そう?俺にはよく分かんないけど」
感傷的な坂本の言葉にもやっぱり博はあっさりと返して、すでに話に興味を失ったとでもいうように、いそいそと本日すでに三つ目のパンに手を伸ばしてバター(ついでに言うとこれも坂本お手製だ)を塗り付け始めた。
そんな彼の様子に坂本は一度だけため息を零してから席を立つと、キッチンカウンターに置いてあるコーヒーメーカーからデカンタを外し、自らのマグカップに黒々とした液体をそそぎ込んだ。
淹れ立てコーヒーの香ばしいいい香りが部屋に広がる。
「あー…でも」
「あ?」
急に何かを思い出したような博の声に坂本が振り向くと、彼は何やら思案深げな顔をしてバターナイフを見つめていた。
その銀色の輝きの中に何かを見つけたかのように、ふっと目を細める。
それはまるでここではない何処かを見つめているような、そんな空虚さを持っていて。
「…神無月、かな」
「神無月?」
「神様がいない月。その月のどれかに生まれた事は…知ってる」
神無月は日本の旧暦十月の事であり、現在の新暦においても十月の異称として用いられている。
神無月…つまりは神様のいない月。
諸説はあるが、一般に広まった説としては全ての神々が出雲へと集う月だと言われている。
「今思うと、すごい皮肉だよなぁ、あの人が言った事って。あの時の俺には意味が全然分からなかったけど…」
自嘲の笑みと共に密やかに呟かれた言葉に、何が分からなかったのか、一体誰に何を言われたのか、喉まで出かかった質問の言葉を坂本はコーヒーを口に運ぶ事で押し止めた。
博の様子を見るに、それは彼があまり語りたくはない類の話だと言うことは容易に知れたし、何より坂本自身、あまりそれを思い出させたくはなかったのだ。
どう考えても、良い思い出は詰まっていなさそうな過去の事は。
「で、でよっ!肝心の誕生日は何日なんだ?」
なんとか話の方向を変えようと坂本が慌てて紡いだ言葉に、しかし博は首を傾げてうーんと唸った。
「だから日にちまでは覚えてないってば。知ろうとも、覚えようとも思った事はなかったし」
まぁ当然と言えば当然の答えだ。
しかしそれでも坂本はなんとか話を広げようと、不意に思いついた突拍子もない事を口にした。
「じゃ、じゃあ今は十月だし、ちょうどいいからお前の誕生日は今日ってことにするか!」
「…って、あれだけ言っときながら結構適当に決めるね坂本くん」
「うっ!!」
呆れた声の博に痛いところを突かれてしまった。
が、坂本はめげずにその提案を強引に推し進める。
「どっ、どうせはっきりしないんだからいいだろ、別に!今日、十月九日がお前の誕生日!はい、決まり!!」
「…まあ、別にいいけどさ」
もともとあってないようなものだし、と呟く博に坂本はやはり複雑な思いを抱いた。
生きた【道具】である式神。
そんな風に一言で片付けてしまえるものなのだろうか。
彼らの存在は。
「…と、言うことで今日はお前の誕生日だ!誕生日祝いやらないとな!!」
暗い気持ちを払拭しようと努めて明るく言い放った坂本の言葉に博は不思議そうに首をかしげた。
「誕生日祝い?」
誕生日を知らない式神である。
誕生日にお祝いをする事すら知らないのは当然だ。
「そ。お前が生まれて来てくれた日に感謝するんだ。誕生日ってのは本来おめでたい日なんだぞ?」
「そう言うもんなの?」
「そう言うもんです」
「…知らなかった」
目から鱗、とでも言うような博の顔に坂本は笑い、彼を喜ばせようとある提案をした。
「待ってろよ。今日はお前のためにバースデーケーキ焼いてやるからさ」
「ばぁすでぇケーキ?何それ?ケーキにそんなのがあるの?」
「あぁ。誕生日を祝う時に出すでかいデコレーションケーキだよ。ショートケーキは知ってるだろ?」
「うん」
「あれのワンホール丸々版だな」
「ワンホール?」
「あー…とにかく、でっかいやつだよ。ショートケーキのでっかいバージョン!」
「ショートケーキのでっかいバージョン!?うわぁすごいね!そのばぁすでぇケーキってやつ!!楽しみだなぁ〜♪」
「なんつー現金な…やっぱり食い物には目がねぇなわけな。まぁいいけど」
目をキラキラさせて喜ぶ博に坂本は苦笑を浮かべて、それからふっと表情を緩めた。
どんな理由であれ、今ここでこうして笑っていられるならばそれで。
それだけでいいと思う。
過去にいい思い出が無いというのなら、自分がこれから先の博の未来にいい思い出を作ってやればいいだけのことだ。
誕生日も、その先に控えているクリスマスも、正月も。
博が笑える時間を沢山作ってやればいいのだ。
彼の主として、自分が、全力で。
「あ。そうだ、肝心な事言い忘れてた。博」
「ん?」
三つ目のパンを食べ終わった上機嫌の博が、四つ目を手にとって首を傾げる。
こいつの食欲はどうなってんだかなぁ、と苦笑しつつも坂本は何よりも言うべきことを口にした。
「誕生日、おめでとう」
言われた方の博はきょとんとして、目をぱちくりさせているけれど。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
本心からの感謝を込めて、坂本はそう言った。
博を拾ってからというもの、毎日本当に色んなことが起こる。
良いことも、悪いことも。
楽しいことも、苦しいことも。
それこそ本当に山ほど盛りだくさん、語りつくせないほどあって。
賑やか過ぎる毎日は、しかし坂本の何かを確実に変えていった。
だから、ありがとう。
生まれてきてくれて。
自分のところへ来てくれて。
ありがとう。
「…どういたしまして?」
「ぷっ」
どうやら『ありがとう』と言う言葉の返しにはその言葉しか思いつかなかったらしい。
語尾に?がついた博のお礼の言葉に、坂本はつい吹き出して笑った。
幸せだなぁって思うよ、俺は。
今はすっごく幸せだ。
大好きなものや大好きな人たちに囲まれて、笑っていられる日常がここにはあるから。
それは当たり前のようにあって、けれど本当は当たり前じゃないものだから。
「…神様に見守られずに生まれた式神、か」
そう、『あの人』は俺を嘲笑って確かにそう言った。
あの日から随分と月日は経ったけれど、その顔は未だ鮮明に覚えてる。
そして多分、あの顔を俺は一生忘れる事はないだろうとも思う。
「博?難しい顔してどうした?」
「…え?あ、ううん、別になんでも」
「そうか?具合が悪いなら言えよ?」
「…へへ」
「…何気持ち悪い笑い方してんだ?」
「ん?坂本くんは優しいなぁって思って」
「はぁ?」
「あ、赤くなった」
「う、うるせぇよ!」
「赤くなったーえへへへへ」
「だからお前は井ノ原みたいな気持ち悪い笑い方をするな!!」
「えー!?ちょっとそれは酷くない!?そこまで気持ち悪くないでしょ!!」
「…井ノ原、不憫な奴」
「あはははは」
大切で、大切で。
絶対に失えない日々。
俺はそれを知ってしまって、欲張りになった。
恐怖はいつも、俺の中にあるけれど。
それに勝る温かさを、俺はたくさんもらったから。
だから、今度は守るよ、ちゃんと。
俺が守る。
あの日の約束は、ちゃんと俺の中にあるから。
「ねぇ、坂本くん」
「なんだ?」
「俺はね」
「おう」
「俺は…」
願わくば、最期のその時まで。
「坂本くんの式神で幸せです」
貴方と共に、笑っていられることを。
END.
Kohki's Comment.
HAPPY BIRTHDAY HIROSHI NAGANO!!
ってなわけで当サイトにおいて、シリーズと銘打っていながら全く機能していないシリーズの一つ(笑)、【誓約の名の下に】の坂本&博で博さん誕生日をお祝いしてみました。
サイドストーリーばかり無駄に増えて謎が増えるばかりの誓約。
我ながらどんな焦らしプレイやねんと思います。(コラ)
誓約の博さんは設定の都合上ほにょんほにょんしてるので(何)書くのがちょっと楽しい。
そして十月生まれが上手いこと設定にはまって一人ニヤリとする光騎さんでした。(笑)
少しでも楽しんで頂ければ幸いです♪
2009.10.09.Friday
Background Image : Simple Life