■□春まだ浅く残寒肌をさすの候。



もう三月も終わりだというのに、窓の外は冷えた空気と強めの雨に支配されていた。
三月三十一日の東京。
本日の天気、大雨。


打合せ室の窓から見える外の景色は、まだ昼前だと言うのに既に夜が来たような色をしていた。
重々しく、どんよりとした暗い空を見ていると、どうにも気分まで曇りがちになってしまう。
せっかく花開いた桜も、これではいい迷惑だろう。
まさに『生憎の空模様』となった世界を、開いた窓を再び閉める事で遮って、長野博は誰に言うとも無くぽつりと呟いた。
「お花見したかったなぁ」
ため息を吐き出しながら、寂しげにそんな事を口にしたのにはちゃんとした理由がある。
実はひと月も前から気心の知れた友人たちと約束をしていた花見が、この天気のせいでお流れになってしまったのだ。
しかもそれぞれに多忙な仕事をしているため、桜が散らないうちに次のスケジュールを組むのはほぼ不可能に近かったりする。
久しぶりに会える友人もいただけに、残念な気持ちは殊更で。
長野は盛大なため息を一つつくと窓ガラスに額をつけた。
と。
「幸せが逃げてくぞ?」
不意に背中にかかった笑い混じりの声に後ろを振り返ると、すぐに目が合った声の主はどうしてか苦笑を浮かべ、長野の隣までやってきて言った。
「なんだよ、その顔は」
「え?」
「生憎な顔だな」
「…なにそれ」
生憎の空模様にかけているのかなんなのか。
声の主…坂本は、何処かからかう様に笑って視線を窓に移した。
それにつられて長野も視線を窓へとやれば、伸びてきた坂本の指先が内外の温度差と湿気でうっすらと曇っている窓ガラスの上を滑り出す。
「生、憎」
きゅっきゅと音を立てて書き付けられた文字は坂本の言葉どおり『生憎』の二文字で。
さらに彼はその文字の下に何事かを書き始める。
「"ああ憎らしい"?」
書かれた言葉を長野が声に出して読むと、坂本は含みのある笑みを浮かべて頷いた。
「生憎の本来の意味。ああ憎らしいって言う意味なんだってよ」
「…で、俺が今そういう顔をしていたと?」
「Exactly」
妙に発音のいい『そのとおり』の言葉に呆れつつ、そこまで憎憎しげな顔をしていただろうかと長野は自らを省みてみる。
ふと見つめた窓では生憎の文字がまた白くにじみ始めていて。
何故だかそれが妙に悔しくて、手のひらで少し乱暴に窓ガラスをこすった。
それを見た坂本が微苦笑を浮かべて言う。
「珍しく機嫌悪いな、お前」
「別に」
「その顔して言うか?」
「生憎な顔ですみませんねぇ」
「お前なぁ」
嫌味たっぷりにそう言ってやれば、坂本は苦笑を濃くしてから何を思ったのか徐に窓を開いた。
途端に冷えた空気が一斉に押し寄せてきて、二人の呼吸は白く昇る。
「うぉ、さっむいな〜」
「なんで開くかなぁ…」
「いいだろ。空気の入れ換えだよ入れ替え」
「それはついさっき俺がしたんだけど?」
汗をかくほどに温まりすぎて淀んだ空気を逃がす為、長野が窓を開けたのはついさっきの事。
とは言え思ったよりも雨脚が強かったので、彼はすぐに換気をあきらめ窓を閉めてしまった。
実はそれを一部始終見ていた坂本は、けれど特にそこには触れずに、吹き付けた雨粒混じりの冷たい風に目を細めた。
「もう春だってのに、この寒さはないよなぁ」
「寒の戻りって言葉があるでしょ」
「あぁ。そうだな」
柄にもなくつっけんどんな長野の物言いを特に気にすることもなく、そう相槌を打つ坂本の声は何故だかすごく穏やかで。
まるで普段とは真逆の立場に居る自分の対応がなんとなく恥ずかしくなった長野は、少し上目遣いで坂本を窺い見た。
するとそこには声と同じくらいに珍しくも穏やかな表情があったので、ますますばつが悪くなってしまう。
…いい歳した大人が何子供みたいな突っかかり方してるんだか。
自覚した八つ当たりを密かに心中で反省して、素直にそれを聞いてみた。
「…なんか、機嫌良いよね」
「ん?そうか?」
「うん。俺とは正反対だよ」
「確かに、今日のお前はやけに機嫌が悪いもんな」
貴重だよな、なんて言って事も無げに笑う坂本に長野は苦笑して返した。
確かにせっかくのお花見がお流れになって機嫌は悪いのだけれど、他の誰かが相手であればここまであからさまに不機嫌を露わにしたりはしなかっただろう。
そんな事にふと気づいてしまったが故の苦笑だ。
坂本はそんな長野を見ても何も言わず、ただ微笑みを口元に浮かべただけでいる。
…もしかしたら。
彼は機嫌がいいのではなく、憂鬱な気分で居る自分の為にあえてそう振舞っているのではないだろうか。
そして自分は、そんな彼に知らず知らずのうちに甘えてしまっていたのではないだろうか。
長野は益々持って苦笑を濃くし、それからふっと息を吐いて思ったままを口にした。
「俺結構、坂本くんには甘えてるのかもね」
「あ?なんだ急に。つーかお前が俺に?何処らへんが?」
本気で分からないと言う顔をする坂本に、長野は大きく笑って。
親愛を示すようにとん、と隣り合った肩をぶつけてみる。
「俺はいっつもリーダーを頼りにしてるよ?」
「本当かよ」
「生憎ね」
「…イヤミかそりゃ」
「はは」
肩を並べて笑い合って、それから二人はどちらからともなく視線を窓の外に移す。
相変わらず雨はやむことなく降り続いていて、時折吹く風は未だ冷たく、気温も変わらず低かったけれど。
二人の間にある穏やかな空気と触れ合わせた肩が、巡り来る春のように変わる事のない確かな温もりを与えてくれた。

「春かぁ」

つぶやいた長野に。

「春だな」

答える坂本。

二人にはきっと、それだけで十分なのだ。





「桜、まだ頑張ってくれるかな」
「今週くらいは大丈夫だろ」
「じゃあさ、お花見しようよ」
「あぁ?」
「食べ物は俺が用意するからさ。何なら作ってもいいし」
「あぁ調理師免許取ったんだよなお前」
「うん。あ、それとも一緒に作る?」
「…なんか、いい歳したおっさんが二人で作った料理を持って花見ってすげぇ虚しくないか…?」
「あはは、別にいいと思うけどなぁ。ほら、俺たちアイドルだし」
「…便利な言葉だな、アイドルって。…まぁ、付き合ってやるか」
「そうこなくっちゃ♪」





生憎な空模様も厭わない。
それは何年経っても同じように。
穏やかな温もりを与える、繰り返す春。





END.





≫Kohki's Comment.
書きたかったのはツートップのバランスだったような気がするんですが。
いざ出来上がったらあれっ・・・?なんだこれ。(笑)
ちなみにこの話を思いついたのはまさしく3月31日の東京、生憎な空模様の日で。
生憎と言う言葉から生まれた話でもあったりします。
しかしながら実際完成したのは夏を迎えてから。(笑)
あまりに季節外れな話ゆえ、出すタイミングをどうしようかと思ってたんですが、ツートップ祭に便乗して出してしまえばいいんじゃないか!?と、言うわけで出してみました。(笑)
久しぶりすぎてどうにもぎこちない文章になっておりますが、楽しんで頂けたら幸いです♪

BGM:244ENDLI-x / kurikaesu春(笑)

2008.11.07.Friday